一躍ヒットメーカーに、そして訪れた低迷

 イギリスのマン島に生まれ、オーストラリアで育った彼らはビートルズに憧れ、イギリスへと渡る。ビー・ジーズといえば、ロン毛に大きくはだけたシャツから覗く胸毛そしてベルボトムといったディスコ・ファッションのイメージだったが、ティーンエイジの彼らはマッシュルームにスーツで完全にビートルズ風。彼らにも苦労した時代があったのねと思うのは早合点で、ビートルズのマネージャー、ブライアン・エプスタインの目に留まった彼らはすぐNEMSエンタープライズと契約。クラプトンがいた伝説的グループ、クリームのマネージャーだったロバート・スティグウッドが兼任で担当することに。

「最高のハーモニーとメロディーだ」とビー・ジーズに入れ込むスティグウッドにクラプトンも嫉妬したという。この頃からずば抜けていたビー・ジーズ。ところが名曲「マサチューセッツ」が生まれ、一躍、人気者になると、やがてツインボーカルだったバリーとロビンが互いに譲らず、衝突。力を合わせてトップを目指してきた彼らだが、トップになった途端、今度は誰がトップなのか、誇示したがったのだろう。

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「家族で音楽をやるのは最大のメリットでデメリット」とオアシスのノエル・ギャラガー。そしてジョナス・ブラザーズのニック・ジョナスも「兄弟関係はとても複雑だ。感情的になりやすいし、一人だけ注目されたりする」と振り返る。仲が悪くて、解散してしまった兄弟グループ出身のスターたちの発言だけに重みがすごい。

 なんとかモーリスが間に入り、ビー・ジーズの場合、兄弟だからこそ解散の危機を回避できた。だが、時は70年代。酒や薬に溺れ、税金のためにクラブ巡業を続けた彼らは次第に音楽への興味が薄れていく。成功からの転落。そんな彼らを救ったのは意外にも、エリック・クラプトンだった。