戦争の記憶、忘れ去るべきではない
近くの千鳥ヶ淵戦没者墓苑を歩いた。ここは太平洋戦争で亡くなった全ての人々を供養するための墓苑だ。もうすぐ岸田文雄首相が参拝に訪れるので異様な数の警察官が配置されている。
参拝者はまばらだった。
二人の男の子を連れた40過ぎの男性に話を聞いた。
「祖父の兄はなんでも日本軍が放ったスパイだったと聞いています。中国の黒竜江省あたりで八路軍(毛沢東軍)に見つかって殺されたという事らしいですが……行方不明のままです」
そう言うと男性は再び合掌した。
世田谷区から来たという70代後半の女性にも話を聞いた。
「私の叔母が3月16日の東京大空襲で焼け死んだんです。私は空襲は覚えていませんが……あの時は皆が日本軍のおかげで酷い目にあったんです。だから私は軍人を祭る靖国神社には行きませんよ」
その口調ははっとするほど鋭かった。
そして、女性は少し曲がった腰を伸ばしながら杖を片手に汗を拭った。
それぞれの家族に戦争による悲しみが受け継がれていた。
戦争の悲しみを語った文学は色々あるが、私が忘れられないのは沼正三の『禁じられた青春』の中の戦災孤児について書かれた「僕は泣かない」という一節だ。
「道で転ぶ。膝っ小僧をすりむく。“大丈夫かい!”と駆け寄り、“坊やは偉い、泣かないもんね”と、力一杯抱き締め、頬ずりしてくれる親は全部他の子供たちにとっての親であり、自分とは何の由縁も縁もないのだと悟ってゆく子供の知覚の世界に、世界の風景はどう見えるものであろうか」
その辛酸を舐めつくして生きてきた孤児たちも今や80歳を越えている。その孤児の一人がかつて語っていた。
「あの戦争孤児だった体験は心の奥底に閉まってある。僕の中の遠い戦争だ」
これから先、戦争体験者は年々少なくなっていく。
私もあの戦争を知らない世代だ。しかし、8月15日はそんな私達の世代が先代から聞いた戦争の悲しみを語り継いでいかなくてはいけない日なのだと思う。
今年も千鳥ヶ淵では降るような蝉の合唱が聞こえていた。