お亡くなりになった近藤誠医師(2013年1月撮影。慶応大学医学部の研究室にて、川嶋諭撮影)

 著書「患者よ、がんと闘うな」で知られる近藤誠医師の訃報(https://news.yahoo.co.jp/articles/2388cdc292dc8601bab4937cb8152c743fd71b81)がありました。

 報道によれば7月13日、出勤途上のタクシー車内で突然体調を崩し、そのまま搬送との経緯だったようです。享年73歳、日本人男性としてはお若い範疇に入るでしょう。

 まずはご冥福を心からお祈りしたいと思います。

 本稿では近藤医師の活動を客観的に振り返ってみたいと思います。ちなみに筆者は生前の近藤医師と一切面識はありません。

 単に主要著書数冊の読者に過ぎず、その観点から、また医療統計、生命倫理に関わる一大学人の視点から、プラスマイナス双方から考えてみたいと思います。

「患者よ、ガンと闘うな」の衝撃

 近藤誠医師の名が世に知られたのは1988年、「文藝春秋」に発表された「乳ガンは切らずに治る」という原稿からでしょう。

「切っても切らなくても生存率はほぼ同じ、なのに切るのは外科医の大問題」、いわば医学界内部から「告発」する内容で、センセーションを巻き起こしました。

 当時、近藤医師は慶應義塾大学医学部放射線科の専任講師の職位にあり、また定年までその職位にとどめられ続けました。

 何かと通風のよろしくない医学界内部から、医療の在り方そのものに疑問を呈する、近藤医師の行動は、勇気あるものと言えるでしょう。

 1976年27歳で放射線科助手、83年34歳で専任講師・・・と、大過なく過ごしていればそのまま慶應医学部放射線科の領袖に収まっても不思議ではないキャリアに、自らストップをかけている。

 放射線科医の観点から、当時は日本でほとんど行われていなかった乳がんの「温存療法」の重要性を説いた1988年の「文藝春秋」、39~40歳でのメディア発信が、近藤医師の人生を大きく転換しました。