NATO加盟申請書にサインするスウェーデンのアン・リンデ外相(5月17日、写真:ロイター/アフロ)

 スウェーデンがNATO(北大西洋条約機構)加盟を申請(https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCB183JK0Y2A510C2000000/)しました。地続きのフィンランドと同時申請です。

 これがどれくらい決定的な「ロシア帝国への死刑宣告」であるか、まだ内外で本格的な解説を目にしません。

 すでに1989~91年の冷戦崩壊後、95年の「スウェーデン+フィンランド」スカンジナビア半島中東部のEU入り以降、27年間にわたる積み重ねがあってのことですが、2000年に権力を掌握したウラジーミル・プーチンの行状次第では、このような歴史の動きを作り出す必要はなかった。

 特に、スウェーデンのNATO入りには大きな意味があります。

 1813年「ライプツィヒの戦い」でプロイセン+オーストリア+ロシア+スウェーデンの対仏大連合がフランスを打ち破った「ナポレオン戦争」以来、「光栄ある孤立」を保ってきたからです。

 そしてその総司令官はスウェーデンの「王太子」で、ナポレオン戦争の戦後処理以降、スウェーデンは「中立路線」を堅持し続けてきました。その数奇な運命を本稿では詳しくご説明します。

 そのスウェーデンが、欧州軍事同盟に帰参するという、200年来の欧州安全保障地図が塗り替わる事態が起きている。

 分かりやすい表現を取りましょう。スウェーデンは日本で考えれば江戸時代「寛政の改革」頃から今日まで、世界戦争に巻き込まれることがなく「武装中立」を堅持してきました。

 20世紀に全世界を巻き込んだ「第1次」「第2次」の世界大戦、それどころか19世紀半ば最初の世界戦争というべき「クリミア戦争」(の余波のようにして、日本では浦賀に米国のペリー提督が黒船に乗って開国圧力をかけて来ました)にも参加していません。

 近代戦初の「大量破壊兵器」というべきダイナマイトを発明したアルフレッド・ノーベル(1833-96)は兵器産業で巨万の富を得ました。

 しかし「武装中立」のもと、世界の良心として「科学と平和の維持発展」推進のため「ノーベル賞」設立を遺言。

 1901年に始まる世界最高の権威を持つ「ノーベル賞」が「平和賞」を出し続けることができたのも、その選考はノルウェー政府に親任され「世界の中立の良心たるスウェーデン」がそれを見守る、という多層的な第三者性を担保しながら120年の歴史を重ねてきました。

 端的に言うと、設立以来120年の「ノーベル平和賞」の中立性を放棄するくらい、欧州のみならず世界の安全保障バランスを考える上で大きな出来事が起きたことになります。