核兵器をどこに置くかは問題ではない。
日本国内に米国の管理する核弾頭を置いておいても、米大統領が核使用を許可しない限り使えないのでは、日本を守るために米国が核戦争のリスクを冒すことを保証するとの「核の傘」の信頼性は上がらず、核抑止力の強化にもならない。
米国のケネディ政権の成立に伴い、核の引き金を誰が引くかがNATO内で問題となった。
それまで、核の引き金の分有、欧州独自の核戦力の余地を認めていたアイゼンハワー政権に替わり、ケネディ政権になり、マクナマラ国防長官は、米大統領の手に核の引き金を集中することを欧州NATO同盟国に強要した。
それに反発してフランスは、NATOの軍事機構から脱退し独自核開発に踏み切った。
その際に、ドゴールはケネディに対し首脳会談の場で、パリをソ連の核攻撃から守るために米国はニューヨークを犠牲にする覚悟はあるのかと詰め寄ったが、ケネディは明確な回答を避けたとされている。
英国は米国との「特殊な関係」を生かし、英国製の独自核を米国製のSLBM(潜水艦発射型弾道ミサイル)に搭載し、それを英国製の原潜SSBNに装備することで両立を図った。
英国のSLBMは米国製で米国の核作戦計画の一部として取り込まれているが、英首相は同時に、自国の核作戦に対する独自の指揮統制通信系統を保持して、自ら核の引き金を引く権限を確保した。
西ドイツではアデナウアー首相、シュトラウス国防相は、独自核の保有を望んでいた。
しかし、敗戦国のためマクナマラに押し切られ、協定に基づき米国の核弾頭管理部隊の国内駐留を認める代わりに、平時から核攻撃訓練を行い、情報業務や計策策定にも参加するという、現在の、形式的な「核共有」に甘んじざるを得なかった。
このドイツ型の「核共有」では、米大統領の認可なしには、核使用は許されず、キッシンジャーはドイツ型「核共有」を単なるシンボルでしかなく、核の傘の信頼性を高めるものではないと明言している。