①「反撃」は、本質的に待ち受けを意味し、もし核弾頭等であった場合にはそれだけで致命的損害になる。

 ウクライナ戦争では、かつてないほど頻繁かつあからさまにロシアによる核恫喝が行われ、ロシアの戦術核兵器使用の可能性も高まっている。

 日本有事にも、中朝露による核恫喝がかけられるのは、間違いがない。核攻撃のおそれすらないとは言えない。

 それにもかかわらず、先制を許すのは、日本国民数十万人の命をみすみす犠牲に供することを意味している。

「専守防衛」とは、それほど無責任で残虐な防衛政策であることを、国民はよく認識すべきである。

②「座して死を待つのは憲法の本意ではない」との趣旨の過去の国会答弁にもある通り、現在の憲法解釈の下でも、ぎりぎりの状況下では、自衛目的の先制攻撃は許されているとみるべきである。

 その意味で「反撃」という概念では、自衛的先制すら排除して「専守防衛」を更に狭く解釈し、抑止力を低下させ危機を自ら招きよせる結果になる。

 敵国土上空から迎撃困難な極超音速ミサイルで日本全土を精密攻撃できる時代に、「専守防衛」という概念に捕らわれていては、日本の自衛そのものが成り立たない。

 それにもかかわらず、わざわざさらに狭く「専守防衛」概念を解釈するのは、自殺行為に等しい。

③今回のウクライナ戦争でも立証されたように、将来戦におけるミサイルの大量精密攻撃は、一気に防空・航空戦力を無力化する威力を備えており、「反撃」を許容する可能性は低い。

 特に、国土に先制奇襲攻撃を受けた場合は、反撃態勢のみでは、待ち受けている状態のまま、指揮通信中枢、基地、補給施設などに大量損耗を被り、継戦基盤そのものが壊滅されるおそれがある。

④宇宙、サイバー、電磁波戦など新領域での戦いでは、攻撃せずに待ち受けていれば先制奇襲で一気に戦力が無力化されるおそれが大きい。

 戦略攻勢の余地を残しておかねば、残存すらできないであろう。これらの新領域における戦いでは、先制側が圧倒的に優位になると、米国の専門家も予測している。

「核共有」という概念も、核抑止力強化にも核の傘の信頼性強化にもつながらず、日本の核政策として採るべき選択ではない。その理由は以下の通り。

 核兵器の使用統制権においては、核兵器の先制第一撃の権限、いわゆる「核の引き金」を誰が持つかが本質的問題であり、NATO内でも米国と同盟諸国の間で最も争点となった点である。