「撃たれたら」という恐怖

 今年(令和4年)の3月、シーズン最後の猟で最後に獲ったメス鹿を、師匠が回収しに行った時のこと。私は撮影のため、深い雪の中をボコボコと何度も埋まりながら進んでいたら、ダーーーーン、ダーーーーーーンとこだまする、そう遠くない発砲音がした。日没が近く、辺りが暗くなってきた頃だった。

 うーん。もし間違って撃たれるとしたらこういう状況だろうか。(鹿じゃありません、私は鹿じゃありません……)と心の中でつぶやきながら(撃たれませんように)と祈っていた。

シーズン最後に雌鹿を仕留め、師匠がスキーを履いて猟犬たちと回収に向かった(筆者撮影)
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 こだまの仕方から、至近距離ではなく私が撃った山の裏側で撃っているような距離感だった。うむ。これからは回収の時はライトを携行した方がいいだろう。経験してわかることはたくさんあり、すぐに次に生かす。それが進化していく早道だと思う。

 撃たれるといえば、ちょうど20年前に取材で訪れたパレスチナとイスラエルの境界で、暗闇の中でイスラエル兵に撃たれたことがあった。幸い弾は外れたが、放たれた二発の銃弾が空気を裂く音がして、その後数時間かけてじわじわと忍び寄ってきた戦慄といったらなかった。血が凍る、とはまさにこういうことを言うのだろう。

 その夜は横になっても頭と目が冴えて寝付けずじまいだった。暗闇の中銃で狙われるのは、爆弾が近くで炸裂するより怖いとわかった。

 この頃はまだ射撃を始める前だったので、今撃たれる場合と心持ちが違うかもしれないが……攻撃者が見えない、というのは本当に恐怖を感じる。夜の戦闘はこのような戦慄の連続だ。狩猟の話から逸れてしまうので詳述は控えるが、要するにまあ、撃たれないに越したことはない。

 私たちハンターが所持する銃は、狩猟の手段のための道具であり、他人を傷つける目的のものではない。刃物や車、バットや農具等と同じように、殺傷能力があるのは間違いない。

 しかしながら、弾だけではどうしようもないし、銃だけあってもただの重い鉄の筒であるから、日本では攻撃する武器としては包丁などよりよっぽどマイナーではある。アメリカなどではホームセンターで簡単に弾が買えたりするが、日本ではそれは不可能なのだから。

 だからこそ銃を持つことを許可された者、ハンター全員が、安全な銃の取り扱いを強く強く胆に銘じる必要があるし、許可を出す公安委員会(実務は警察)は申請者の人となり、性格をより重視すべきであると思う。