撃てる場所、撃てない場所

 狩猟を行うものにとって、銃で他人を傷つけたり、さらには命を奪ってしまったりなどということは、絶対にあってはならないことだ。そのために、さまざまなルールが設けられている。

 まず、発砲禁止の状況というのはたくさんある。常識的には人のいそうな場所。街中は当然ダメ、家屋の周辺、墓の周り、線路、道を挟んでいる、などもそうだ。

 逆に言えば、「撃てる状況」というもののほうが限られている。万が一銃弾が獲物を貫通したとしても、土の法面などのバックストップに刺さり、発砲による累が他者に及ぶ恐れがないことが絶対条件だ。林道から離れて十分に林や森の中に入り、他の林道を跨がず、かつ獲物の背景が山肌だったら完璧だ。

 明らかに人のいないだだっ広い原野や、ハンター以外は歩かないような人里から遠い森や林の中(もちろん他のハンターがいれば撃つことはできない)、そして占有者の許可があれば牧草地も発砲可だ。エゾ鹿による被害は甚大なので「ぜひ撃ってくれと」いう土地の所有者も実は少なくない。

こういう状況にいるのが「撃てる鹿」(筆者撮影)
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 しかし何度も言うが、発砲によって他者に累が及ぶ状況はいかなる場合も発砲してはならない。弾が鉄砲に装填されていなくても、それがわざとでなくとも、銃口を人に向けることも禁じられている。射撃場で銃を清掃する時などでも誰かがうっかり他人に銃口を向けた場合は、お互いに注意をしあう。たとえ分解されていて発砲が不可能な場合でも、だ。

 だたし、それが銃を持つ者の常識であり良識だ――と思っているのは、ここ20~30年の間に銃を手にした者の話なのかもしれない。

 残念ながらハンターの世界でも世代間の認識の違いがあることは否めない。特に70代後半以上のハンターの常識は、世間の常識が現在とまったく異なる。それを今の世の中の感覚に合わせるというのは容易ではないと思う。自動車運転免許でも、普通自動車運転免許を取ればいろいろ付いてきた時代があるように、大らかないい時代だったな、というのはどの世界でもあろう。それと同じことだ。

「1971年頃に規制が厳しくなり、所持許可を受けたのがその前であれば、その方々はずいぶんゆるいはず」(鎌田正平氏)。世代交代を待つしかない。