プーチンという政治家は突然変異なのか

 戦争の決定は国家のトップが下すものであり、ロシアの場合は、それがプーチン大統領であることは間違いない。そして今、プーチンがその判断を下すための材料となった情報の内容が注目されている。

 イギリスの新聞『タイムズ』は、ロシアの情報・特務機関「連邦保安局(FSB)」の職員150人が解雇され、一部は逮捕されたと報じている。彼らは、1998年に当時FSB長官だったプーチンが創設した「第5局」の職員で、旧ソ連諸国をロシアの勢力圏にとどめることを任務としている。

 解雇・逮捕の理由は、ウクライナ情勢について虚偽の情報を大統領府にあげたためだという。FSBはKGBの国内部門を引き継ぐ組織であるが、プーチンはKGBの職員としてキャリアを積んだことは周知の事実である。子どもの頃からの希望はスパイになることだったという。

 今回の大量解雇は粛清であり、それはプーチンの個人的性格によるというよりも、帝政ロシア、ソ連邦の専制政治の特性を引き継ぐものである。

 帝政ロシア時代の1905年1月、皇帝に生活苦を訴え、その慈悲にすがろうとして平和的にデモ行進をした市民に軍隊が発砲し、1000人以上の死傷者が出た。雪が犠牲者の血で赤く染まった「血の日曜日事件」である。

 レーニンは、ロシア革命の過程で赤色テロを行い、1917年には秘密警察チェカーを創設している。「プロレタリアートの独裁」というマルクス主義、共産主義の思想そのもの中に、敵と味方を峻別するという考え方がある。労働者階級の敵であるブルジョアジーを殲滅するというのが基本路線である。

 レーニンの独裁を継承したスターリンに至っては、それをさらに徹底し、敵に通じるものは何百万人でも処刑するという粛清方針を貫いた。1930年代後半には、粛清の嵐(大テロル)が吹きすさび、500万〜1000万人が殺されている。ロシア革命前後からの仲間をほぼ全員銃殺している。メキシコに逃亡していたトロツキーも1940年に暗殺されている。

 いまウクライナにおける民間人の虐殺が問題になっている。プーチンは、これをフェイクとして否定するが、スターリンの時代のソ連で、人為的飢餓が引き起こされ、ウクライナで多くの人々が餓死に追い込まれた前例がある。スターリンは、工業化のための外貨を稼ぐために、農民から収穫した小麦を強制的に収奪し、その結果、農民は餓死した。穀倉地帯のウクライナでは500万人が死んでいる。1932年〜1933年のことで、「ホロドモール」という。

 スターリンは、第二次世界大戦中の1940年春、ソ連西部のカチンで、将校、高級官僚、知識人などポーランドのエリート2万人余りを虐殺した。これが「カチンの森事件」である。

 エリートの息の根を止めれば、ポーランドが国家として再興できないだろうという目論見からの犯行である。

 このように、ロシアの歴史は血塗られた歴史である。その流れの中にプーチンもいる。