歴史的伝統的イタコの証であるオダイジとイラタカ数珠(写真:Aya Watada、以下同)

 イタコとは、青森県に実在する女性の霊媒師だ。イタコにはさまざまな役割があるが、広く知られているのは、ホトケ(死者)の魂を降ろして憑依させ、ホトケの言葉を自らの口を通して伝える「口寄せ」だろう。

 昭和40年代、50年代の最盛期には、南部地方だけで数十人のイタコがいた。夏と秋に開催される恐山(おそれざん)の大祭の際には、口寄せの順番を待つ相談者で長い行列ができた。だが、高齢化が進んだこともあり、常時活動しているイタコはわずか4人に過ぎない(青森県いたこ巫技伝承保存協会が歴史的伝統的イタコと定義している人数)。

 しかも、本来の姿とも言える目の不自由なイタコは、90歳になる中村タケただ一人である。絶えつつあるイタコ文化を写真とともに語る。

(篠原匡:作家、ジャーナリスト、編集者、蛙企画代表)

 今でこそ「死者の口寄せ」のイメージが強いイタコだが、もともとは集落の人々の相談に乗るカウンセラーのような存在だった。

 事実、かつてのイタコは嫁姑関係や夫婦関係の相談に始まり、健康、揉め事、引っ越しなど身の回りの相談に乗っていた。当時は地域に医者も少なく、病気の相談でイタコの元を訪れる人もいた。何かあった時に集落の人々がイタコを頼ったのは、イタコに神仏の姿を重ねていたからだ。

「最後のイタコ」と言われる松田広子さん

 1回目「恐山、口寄せ、イラタカ数珠、オダイジ、消えつつあるイタコ文化の残り火」で述べたように、イタコは目の見えない女性の職業として誕生した。食糧事情や衛生状態に悪かった時代、はしかなどで視力を失う子供が一定数出た。そういった子供を社会としてどのように支えていくのか。それは、地域の中の大きな課題だった。

 その中で、男性は按摩や三味線弾き、女性は神事に関わるイタコが受け皿になった。言葉を換えれば、イタコは当時の南部地方の人々が生み出した弱者救済システムだと言うことができる。

イタコの看板。自宅の入り口や電柱などに普通に掲示されている

それは、イタコの成り立ちからも見て取れる。

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