こうした報道が事実ならば、一枚岩だったはずの情報機関内部に大きな亀裂が生じ、ロシアの現体制の根本を揺るがしていることがうかがわれる。
KGBが支えたゴルバチョフ
ソ連時代から情報機関は巨大な組織として君臨し、国内の反体制派の弾圧、西側の政治、経済、科学技術など、あらゆる情報を集めて時の政権を支えてきた。かつて最初で最後の大統領となったゴルバチョフは、KGBの強い支持を得ていたことが最高指導者になった大きな理由だと言われている。
ミハイル・セルゲーエヴィチ・ゴルバチョフは、ソビエト連邦最後の最高指導者で、ソ連共産党中央委員会書記長、大統領となった人物だ。1985年3月、チェルネンコの死去を受けて党書記長に就任。その時、書記長の座を狙う、ゴルバチョフの有力なライバルとして、重工業・軍事工業担当書記グリゴリー・ロマノフ、モスクワ党第一書記ヴィクトル・グリシン、外相アンドレイ・グロムイコなどがいた。これらの強力なライバルを押しのけてゴルバチョフが書記長に就くことができた理由は、当時、KGBがゴルバチョフに強く肩入れしていたことによる。
KGBは、ソ連の経済水準が米国の経済優位にもはや追い付ける状況ではなく、当時のソ連国民が抱いていた「ソ連は米国に匹敵する世界の超大国である」との傲慢な意識とソ連の現実が大きく乖離していることをよく知っていた。また米国の情報機関がソ連経済の困難につけ込んで、深刻な経済的打撃を与える計画を立てているとも確信していた。
KGBは、こうした深刻な事態を打開するためには、チェルネンコに代わる若くて新しい考えを持つ指導者を選び、体制を刷新しなければソ連経済の困難に終止符を打てないと考えていた。そこでKGBはゴルバチョフを支えることに全力を挙げ、持てる情報のすべてをゴルバチョフにだけ報告した。その結果、ゴルバチョフは他の有力候補者に大きく水をあけることに成功した。
こうしたゴルバチョフの例を挙げるまでもなく、当時のソ連では、党、軍、そして情報機関を掌握することが最高権力者の必須条件と言われた。今、情報機関の支持を失いつつあるプーチンは、この苦境をどう脱するのだろうか。
強気で強面を演出するプーチンの杞憂は、実は途轍もなく深く、未来への光が見えない闇の中をもがいているのかもしれない。
[筆者プロフィール] 藤谷 昌敏(ふじたに・まさとし)
1954(昭和29)年、北海道生れ。学習院大学法学部法学科、北陸先端科学技術大学院大学先端科学技術研究科修士課程。法務省公安調査庁入庁(北朝鮮、中国、ロシア、国際テロ部門歴任)。同庁金沢公安調査事務所長で退官。現在、JFSS政策提言委員、合同会社OFFICE TOYA代表、TOYA危機管理研究所代表。
◎本稿は、「日本戦略研究フォーラム(JFSS)」ウェブサイトに掲載された記事を転載したものです。