11月4日のロシア「国民の日」を祝うイベントに参加しクリミアでスピーチするプーチン大統領(写真:代表撮影/ロイター/アフロ)

プロローグ/ソ連邦崩壊

 ソ連邦は今から30年前の12月25日に崩壊しました。否、解体されたと表現する方が正しいでしょう。

 では誰に解体されたのかと申せば、当時のロシア共和国B.エリツィン初代大統領、ウクライナ共和国L.クラフチューク大統領、白ロシア共和国S.シュシケビッチ最高会議議長の3人です。

 ソ連邦の首都モスクワでは1991年8月19日にクーデター事件が発生。

 このクーデター騒ぎは3日間で収束しましたが、上記の3人はこのクーデター事件後の12月8日、白ロシア共和国のベラベージュの森に集まりCIS(独立国家共同体)設立を発表、ソ連邦解体を宣言しました。

 この宣言を受け、M.ゴルバチョフ初代(そして最後の)ソ連邦大統領は同年12月25日に辞任して、ソ連邦は実質崩壊。

 なお、法的にはソ連邦消滅の日は12月26日になります。

 ソ連邦崩壊に至るまでには上記のCIS設立宣言以外にも様々な政治的・経済的要因が絡んでおり、大きな要因の一つとして、当時ソ連邦の首都モスクワには二重権力が生じていたことが挙げられます。

 M.ゴルバチョフ初代大統領とソ連邦の盟主ロシア共和国のB.エリツィン・ロシア共和国初代大統領2人の個人的確執により首都モスクワは二重権力状態となり、この混乱がソ連邦消滅の背景になります。

 しかし、あまり知られていないと申しますか、日本ではほとんど報じられていない事実もあります。

 本稿では、ソ連邦崩壊の底流と、現在毎日のように流れているロシアのウクライナ侵攻問題に言及したいと思います。