患者同士を分断させる社会的スティグマの恐ろしさ
――糖尿病の患者さんはさまざまな状況の方がおられるでしょうが、大きく分けて1型と2型がありますね。
杉本 一般的に1型はウイルス感染などを引き金とする自己免疫で発症するもので、小児が多いですが、成人にも発症します。これに対して、2型は生活習慣からくる自己責任の病と思われているのではないでしょうか。ある若年発症2型糖尿病の患者さんが言った「1型は生活習慣は関係ないという鎧があるけれど、私たち2型には鎧がない」という言葉はとても印象的で、今も忘れられません。
2つのタイプの大きな違いは
・1型:自己免疫現象によって、膵臓でインスリンを作るβ細胞が壊れてしまうため、インスリンが膵臓からほとんど出なくなり、適正な血糖値を維持するため、終生インスリン注射が必要である
・2型:環境や生活習慣、遺伝的な影響により、インスリンが出にくくなったり、インスリンが効きにくくなったりして血糖値が高くなる
という点です。
どちらの当事者も不便や苦痛はたくさんあります。思春期を含む若年者では体重管理がうまくいかなかったり、食事療法がうまくいかずに食べたものを吐いて摂取カロリーをコントロールしようとしたりする方も少なくありません。厳格な血糖管理を目指す中で低血糖リスクに晒されたり、インスリン注射による体重増加で悩んだり、食欲との葛藤、逆に糖質制限による痩せ過ぎで苦しむなど、糖尿病を抱えて生きることには多種多様な困難があります。こうした彼ら彼女らの現実を知れば、「生活習慣が悪い人たち」というステレオタイプは到底受け入れられないことがわかるでしょう。2型の患者さんは常に社会から非難の矢面に立たされて、1型の患者さんはそうした社会的非難を怖れて「生活習慣病の2型と一緒にされたくない」と悩む。その結果、1型当事者と2型当事者の間に分断、対立が生まれることもありますが、どちらも生活習慣病という呼称によって生まれた社会的スティグマの被害者なのです。
こうした生きづらさや苦難の経験、感情が患者さん本人によって語られると、非常に心を揺さぶられますし、説得力があります。多くの人に現状を知ってもらうために「生活習慣病を死語にする会」では12月にシンポジウムを開催することにしました(詳細は記事の最後に)。