(乃至 政彦:歴史家)
◉どうする謙信(1)春日山城不倫事件編①「密通発覚」
(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/67959)
色部顕長に預けられた犯人
上杉謙信の拠点・春日山城で、家臣・鮎川盛長の証人(人質)である須河原(菅原)という少年が、証人たちを管理する謙信の重臣・吉江景資の使用人である「佐山」の妻と密通した。当時の武家社会では、不倫は男女ともに死罪とするのが普通だったが、事態を聞いた謙信はそうしなかった。
どういう事情であろうか。
実のところ、謙信が裁きを下すより前に、この人物は色部顕長という家臣のもとへ預けられていた。証人管理の責任者である吉江景資の判断であろう。
謙信は須河原少年と直接面談しておらず、鮎川家のほかの証人たちから事情を聞いて、事前に報告を受けていた通り、密通が事実であることを確かめた。
そして、景資は須河原少年を、色部顕長という家臣のもとへ預けた。顕長はおそらくまだ20代の若さであるが、思慮深い人物だったらしく、少年を手厚く保護していたようだ。
なぜ顕長なのかというと、鮎川盛長と親しい人物だったからだろう。
鮎川盛長は、大葉沢城主である。色部顕長は、ここから歩いて半日ほどの平林城主である。吉江景資は、顕長が近所の儀により連帯的にその面倒を見るのが妥当だと判断したらしい。
こうしたところへ謙信は判断を求められた。須河原少年を死刑にするか、それとも別の処分を下すか、である。
結論から言うと、謙信は少年を死刑としなかった。