新潮社の会員制国際情報サイト「新潮社フォーサイト」から選りすぐりの記事をお届けします。
パリのロシア大使館前で、2006年10月7日にモスクワで射殺されたロシア人ジャーナリスト、アンナ・ポリトコフスカヤ氏を追悼するためにデモを行う「国境なき記者団」のメンバー(2021年10月6日、写真:AP/アフロ)

(文:福田ますみ)

ノーバヤ・ガゼータ紙の古参記者は、取材を続ける福田ますみ氏に耳打ちした。「創刊時、彼は、政治の記事は紙面の一番最後でいいと言っていたんです」。記者たちを次々と殺されながらプーチン政権批判を続けたムラトフ氏の知られざる苦悩。

 ロシア人の名前は覚えにくい。だから、フィリピンの女性ジャーナリストとともに、ロシア人のジャーナリスト、ドミトリー・ムラトフ氏が今年のノーベル平和賞を受賞したとのテレビ報道を聞いた時、すぐにはだれのことかわからなかった。

 しかし、精悍だが、にこりともしない彼の風貌が映し出されるや、私は思わず声を上げた。いまや、ロシアでほぼ絶滅危惧種となった独立系新聞「ノーバヤ・ガゼータ」(新しい新聞)の編集長・ムラトフ氏ではないか。

社員規模に見合わない殉職者を出した

 別のテレビニュースは、モスクワ中心部にある「ノーバヤ・ガゼータ」の社屋の前で、押し寄せたマスコミにもみくちゃになりながらインタビューに答えるムラトフ氏の姿を映し出していた。彼はやはりにこりともせず、「この賞は、新聞社と亡くなった6名が受賞したのだと思っている」と話していた。

 同社の社屋は、19世紀の貴族の館を改装したもので、新聞社というよりこぢんまりした出版社という佇まいである。小さな新聞なのだ。彼の後ろにちっぽけな木のドアが見え、思わず、「ああ、あそこのドアから何度もこの社屋に入ったなあ」という感慨が湧いた。

 もう、10年以上前である。私は、後に『暗殺国家ロシア 消されたジャーナリストを追う』(新潮社刊)として発表するルポルタージュの取材のために、モスクワのこの「ノーバヤ・ガゼータ」の社屋に通い続けた。長期滞在や短期での行ったり来たりを繰り返しながら、編集長のムラトフ氏始め、命知らずの記者たちに何度も取材を続けていた。

「命知らず」……、これは決して大げさではなく、同社の記者たちを形容するのにふさわしい言葉である。

 同紙の創刊は1993年。ムラトフ氏が編集長を務めるようになったのは95年からである。それから実に四半世紀、経営危機による休刊や政権からの有形無形の圧力に耐えながら、常に編集長として社員を束ねてきた。

 掲載される記事のクオリティは非常に高く、特に調査報道にその真価を発揮した。2000年にプーチン大統領が誕生以後、政権からの締め付けが徐々に強まる中、できる限りタブーを廃し、権力者が最も嫌がる不正蓄財、汚職など金の流れにも迫ろうとした。

◎新潮社フォーサイトの関連記事
「エア・インディア民営化」でインド航空業界に追い風は吹くか
「日本製鉄vs.宝山鋼鉄・トヨタ」訴訟の隠れた意味を「対中封じ込め」で読み解く
戴くべきは安倍氏か福田達夫氏か:衆院選後に幕が開く自民党「清和会」の亀裂暗闘