――判決確定直後は、まず高知の刑務所に収監されたそうですね。
片岡 高知刑務所には19日間いまして、それから兵庫県の加古川刑務所のほうに移送されました。加古川は交通関係の受刑者が多いと聞いていましたが、入所時の説明ビデオを見ていると、覚醒剤、大麻、アルコール中毒者のビデオも流れたので、そういう関係の受刑者もかなりいるような感じはしました。とにかく、最初の一週間は、声を出す、整列、手を挙げての行進、回れ右、そういう基本的な訓練を繰り返しました。
禁固刑は独居房で座りっぱなしに
――いわゆる独居房という一人部屋におられたのですか。
片岡 はい。入所から釈放まで、ずっと3畳の独居房に入れられていました。数カ月ごとに別の部屋と交替するのですが、私は禁錮刑だったので、収監中はとにかく何もしないでずっと座りっぱなしでした。他の受刑者が作業をしている間は、本を読むことも、手紙を書くことも許されません。作業工場のチームが対抗するかたちでの運動会もあったようですが、私の場合、出場はおろか、見学すらできませんでした。ただ、外の賑やかな歓声を独居房の中で聞いているだけ。歌手の方が慰問に来て歌うことなどもあったようですが、そういうものも一切見ることはできませんでした。むしろ、懲役で作業している人の方が、待遇がいいような気がしましたね。
――他人と話すことはほとんどなかったのですね。
片岡 とにかく1日に発する言葉と言えば、朝の点検で自分の番号を言うときと、「おはようございます」「ありがとうございます」くらいで、声に出してしゃべるということがほとんどなかったので、言葉を忘れかけました。
――運動の時間はあったのですか。
片岡 10時になったら運動の時間ということで独居房から出され、「オイチニ、オイチニ」の掛け声をかけながら大きく手を振って行進し、別の場所へ連れて行かれました。そこは手前が2メートル、奥が3メートルくらいの動物園の檻のような部屋で、その中に入ったら自由に運動をせよ、というわけです。歩いてみたら1周20歩しかありませんでした。私は与えられた20分間、ずっと檻の中をウォーキングしていました。20分間で1500歩ほどは歩くことができましたが、動けないというのはきつかったですね。1年4カ月の間に筋肉が極端に落ち、体力もなくなり、自宅に戻った直後には和式の便器にしゃがむことも難しいほど足腰が弱っていました。