次に重要な構造変化は、米中の覇権争いを前提とした新しい形のグローバル化が進むことである。この覇権争いは経済面では国家システム間の競争となっており、コロナワクチンの開発プロセスがそれを象徴している。

 米国では、例えばファイザー社製ワクチンの場合、東欧とトルコからの移民が研究してきた内容をファイザー社が買い取り、そこに政府や民間が大量の資金を投入して製品化された。つまり、米国は世界中から優秀な頭脳と資金を集めて重要分野に集中投下するという、自由主義の極致と言えるモデルでグローバル競争の勝者となっている。

 一方、中国は、習近平の号令の下で国内のあらゆるリソースをワクチン開発に集中投下することで製品化に成功した。いわば、国家主義の極致とも言えるモデルで勝者となっているのである。

 つまり、自由主義の極致と国家主義の極致という両極端のモデルがグローバル競争での勝ち組になっているのである。

 では日本はアフターコロナにどうするか。両極端のモデルは当然取り得ないので、その中間のどこかに位置してグローバル競争に勝てる国家システムを早急に確立しなければならないのである。

総裁選候補の中で誰が必要な改革を進めるのか

 このように考えると、アフターコロナに日本経済を再生させるために最も必要な経済政策は、構造改革を一気に進めることに尽きる。

 そもそもコロナ前ずっと日本経済が低迷した最大の原因は経済の生産性が低いことであり、その背景には、生産性を向上させる主体は政府でなく民間と地方なのだからその自由度を高める改革が必要であり、かつ改革のアジェンダも20年前から明確であった(労働制度改革、公務員制度改革、電波オークション制度、農地の企業所有など)にも拘らず、それらの改革が遅々として進まなかったことがある。従って、コロナ前を繰り返さないためには、生産性の向上に向けて構造改革を進めることが不可欠である。

 それに加え、アフターコロナに進むデジタル化と新たな形でのグローバル化の現実を考えると、日本の経済社会をこれらの構造変化に適応した形に進化させるためにも、やはり構造改革を進める必要がある。

 こうした観点からは、総裁選に立候補している4人の主張はどれも弱い。

 岸田氏は再分配の強化を主張している。格差が拡大する中でその必要性は理解できるが、まずは経済を成長させて再分配の原資を確保する必要があり、かつアフターコロナの構造変化に対応するには改革が不可欠であることを考えると、改革に後ろ向き(“新自由主義からの転換”)で“成長と分配の好循環”が実現できるのか甚だ疑問である。

 高市氏は、アベノミクスを受け継ぐ姿勢を示していることは評価できるが、三本目の矢については構造改革よりも政府投資(財政出動)を重視しており(“改革から投資へ”)、それは過去の経験から難しいし、アフターコロナの構造変化への対応という観点からも不十分と言わざるを得ないのではないだろうか。