アマゾンでは、川岸を歩いていた日本人移住者が水中にいたアナコンダに巻きつかれ、危うく命を失うところだったと聞いたことがある。
現地の呼称、「スクリュー」「スクルージュ」はインディオの言葉、トゥピ語の「suku'ri=締めつける」が語源だが、アマゾン現地では使われない「アナコンダ」という名称は、東南アジアの大蛇(アミメニシキヘビか)の名を誤ってつけたものと言われている。
「anakonda」は、南インドのタミル語の「anai-kondra」(象の殺し屋)やスリランカのシンハラ語の「henakan̆dayā」(稲妻の幹)に由来する、と。
学名がつけられたのが260年以上前の18世紀半ば(日本では宝暦年間)ゆえ、こういう誤認は他の動物でも多いが、この「大蛇」に対する誤認は今日まで引きずっている。
私に大蛇の皮をプレゼントしてくれた日本人移住者は、「これは小さい方だけどね」と言うので、アマゾンにはどれほど巨大な大蛇がいるのか、大きな関心を抱いた。その思いが消えることがなかったがために、その十数年後、「100mの大蛇が出没していると」という噂に飛びつき、とんでもない奥地にその大蛇探しに行くことになったのだが(後述)。
ところで、なぜアマゾン奥地では大蛇の皮が「土産」になるのか?
それは、アマゾン奥地の住人、カボクロ(インディオと白人の混血者が中心)たちにとって生活に欠かせない「経済産品」だったからだ。私が訪ねた半世紀前までのアマゾンには道路網はほとんどなく、人々はアマゾン河と無数の支流という「川」が交通の要で、数多くのレガトンと呼ぶ河船(交易船)が往来していた。
レガトン船の船主は、アマゾン河口の大きな町(ベレン)で灯油やコーヒー、ファリーニャ(主食であるマンジョーカ<タロ芋の一種>の粉)、砂糖、薬、猟銃の弾丸、衣料などを積み込み、沿岸の村々に寄ってはこれら生活必需品を現地の産品と物々交換するのだ。
カボクロたちは、香辛料、天然ゴムの樹液を固めたもの、世界最大の淡水魚、ピラルクーの干物などを対価として用意しているが、その中に各種ワニ、オンサ(アマゾンジャガー)の毛皮や牙、リクガメの油、ヤマネコの皮などとともにアナコンダの皮も含まれていた。