(花園 祐:上海在住ジャーナリスト)
日本の中世における唯一の国際戦争であり、その後の神風(神国)思想の源流にもなった元寇(1274年、1281年)は、近年新たな研究が進み、新事実が続々と判明してきています。それらの新事実には従来定説とされた内容を覆すものも少なくなく、筆者を含む一部歴史マニアの間で元寇への注目が俄然高まっています。
前回(「元寇『幕府軍が一騎打ちでボコボコにされた』は本当か」https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/65695)は、「文永の役」(1274年)こと第1次元寇における一騎打ち文化、元軍の残虐行為に関する従来説に対して疑義が持たれている状況を取り上げました。
今回は、「弘安の役」(1281年)こと第2次元寇について、前回同様に服部英雄氏(九州大学比較社会文化研究院名誉教授)の著書『蒙古襲来』を参考資料に、最新の分析を紹介します。取り上げるトピックスは、後の神国思想の源流にもなった「神風」の実態、そして取り残された元軍捕虜の扱いについてです。
なお中国王朝としての「元」朝の成立年は1271年ですが、本稿では混同を避けるため、その前身となったフビライ・ハーン率いるモンゴル帝国も含めて「元」と総称しますのでご了承ください。