神風のおかげで勝てたのか?

 長らくの間、元寇に関する通説として、文永の役、弘安の役ともに日本軍は戦闘では元軍に大敗したものの、突如やってきた台風が元軍に壊滅的被害をもたらしたことで辛くも勝利したと伝えられてきました。

 日本人はこの時の台風を「神風」と呼び、“外敵が侵攻してきた際には自然が味方して日本を守ってくれる”という信仰となって、太平洋戦争中には神風特別攻撃隊も編成されました。

 なお、弘安の役では実際に台風がやってきましたが、文永の役の戦闘期間は現在の暦に直すと11月にあたり、時期的に台風は来なかったとされています。ただ、この時期に発達した低気圧によって大嵐が起きることは今でもあり、台風ではなく「初冬の大嵐」によって元軍は被害を受けたとみられています。

約2カ月にわたった攻防

 弘安の役において、元軍は5月初めに朝鮮半島を出発し、5月後半から九州北部へ攻撃を仕掛けています。それから約2カ月にわたり、日本側は元軍の九州上陸を防ぎ、橋頭保をつくらせませんでした。