(乃至 政彦:歴史家)
戦国最強と謳われる上杉謙信。約70戦のうち「61勝2敗8分」または「43勝2敗25分」という戦績もその所以だが、これは一次資料さらには二次資料から作り出されたフィクションである。では実際はどうだったのか? 上杉謙信の関東遠征の真相を描きたちまち重版となった話題の書籍『謙信越山』の著者、歴史家の乃至政彦氏が、謙信が負けたとされる二つの戦いを徹底解説する。(JBpress)
上杉謙信の勝率について
上杉謙信の戦績は約70戦で、その内訳は「61勝2敗8分」または「43勝2敗25分」とされている。事実ならどちらも戦国最高の成績値となる。しかし、この数値はどこまで信用できるのだろうか。
戦国の戦績はフィクション
実はこの戦績は、平成になって作られたデータである。どういうことかというと、謙信の戦争とされるものを一次史料(同じ時代の文献)および二次史料(かなり後になって作られた文献)などから数え上げ、そこから評者が勝敗を見定めて計算したものだ。
二次史料には、軍記などの歴史小説的なフィクションが含まれる。平成の頃は歴史雑誌がこういう手法で、織田信長や武田信玄の勝率を算出して、誰が最強かというランキングを付けたりするのが流行っていた。もちろん学術的な厳正さなどない。つまるところ戦国武将の戦績というものは、とても曖昧な形で創作されたフィクションなのである。
とはいえ、わたしはこの数値を一般人が使用するのに否定的ではない。この戦績を事実ではないが、真実味はあるという意味で許容できると思っている。
謙信の強さは一言で表現できない
わたしは長年謙信について研究している。それで謙信の兵制と用兵は、とても高度で、最強と呼ぶに相応しいと見るようになっている。
だがその強さを具体的に説明するのは、とても大変だ。わたしは謙信の軍隊について、『戦国の陣形』で簡単に輪郭を描き、『戦う大名行列』でその内実を描写した。これらを一読すれば、
小田氏治や上杉憲政や今川氏真などのようなあまり強くない武将にこういうデータを用いて「実はすごかった」というならデタラメにも程があるが、謙信ほどの人物なら、こういう数値を出しても違和感がない。だから、「謙信は合戦に強い」というのをイメージしてもらう上ではとても有効な表現だと思っている。