自公で牛耳るようならまた旧態依然の都議会に

 自民党が何としても第一党の地位を取り戻したいと思うのは当然である。小池都政になり、前回の都議会選挙で自民党が弱小な野党に成り下がったことは、ある意味で改革の糸口を切り開くことに繋がる可能性があったのである。しかし、小池都知事が実際に行ったのは、パフォーマンスで自分が目立つことばかりであり、改革前進どころか、逆に後退してしまっている。

 そういう状況下で、都議会がまた自民党と公明党の連合軍に牛耳られることになれば、私が都知事に就任した際に目の当たりにした旧態依然とした状態に戻ってしまうのではなかろうか。

 国会議員として、また大臣として国政の場に身を置いた経験からすると、都議会は冬眠しているようなものである。国会の衆参両院での予算委員会での激しい攻防を経験したので、都議会でも同じだと緊張して臨んだが、質問と答弁が事前に調整され、すべてが予定調和であった。元気になるのは、知事の不祥事を追及する時だけで、政策論議などはほとんどない。都知事の私が、事前に用意された答弁書以上のことをアドリブで付け加えようものなら、閉会時間が遅れるからと苦情が出る。国会のような丁々発止の激論など期待できないのである。

 これが、世界第三位のGDPを誇る国の首都における議会の実態である。これでは、東京が世界一の都市になることはできまい。