木崎伸也氏が根性の本質を探す「新根性論」。第2回は戸塚宏氏へのインタビューを実施。今回は前編を掲載する。

連載第1回「『東洋の魔女』を金メダルに導いた根性論」はこちら
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/65143

(木崎 伸也:スポーツライター)

戸塚 宏(とつか・ひろし)
名古屋大学工学部卒。大学からヨットを始め、1975年に沖縄海洋博記念「太平洋-沖縄・単独横断レース」で優勝。翌76年に戸塚ヨットスクールを設立。79年から82年にかけて、体罰が原因とされる塾生5名の死亡事故が起こり、傷害致死罪、監禁致死罪で起訴される。19年を要する長期裁判ののち、懲役6年が確定。現在は出所し、同スクールを再開している。

俺は体罰を受けんかったんや

——戸塚さんは体罰で有罪になったにもかかわらず、いまだに一部からカリスマ的な支持を得ています。そもそもどんな子供でしたか?

 俺はもともと偏差値秀才やったんや。ものすごく成績が良かった。学校の成績がいいと、自分は何やってもできる、俺は万能だ、トップだ、そういう気になってくるもんね。今の偏差値秀才もみんなそうやろ?

 小学校のときから先生のお気に入りだったことが、勘違いに拍車をかけた。甘やかされたねえ。あれが一番まずかったなと思ってる。

 何かうまくいかなくても他人のせいにしてしまう、反省ができん子供やった。

 それがね、名古屋大学に入ってヨットを始めてわかった。自分は物覚えがいいだけで、何にもできんじゃんって。

 ヨットを高校時代にやっていた人は少ないから、みんな同じラインからのスタートになる。そうすると自分よりダメだと思っていたやつの方が、早くうまくなるという現実をつきつけられる。

 ヨットのおかげで、反省とか協調とか全然できんかったことが、どんどんできるようになっていった。

——戸塚ヨットスクールで問題児に会うと、昔の自分を見るような気持ちになるのですか?

 そう。こいつは俺とおんなじ風にして、こうなったなというのがたくさんいた。

——戸塚さん自身は体罰を受けて育ったんですか?

 俺は体罰を受けんかったんや。昔やからゼロやないけどな。

 でもさっき言ったように先生のお気に入りだったんで、ずいぶんと甘やかされて育った。

——体罰を受けてなかったんですね! 「子供のときに体罰を受けたかった」という思いから、ヨットスクールで体罰を使い始めたんですか?

 そういう部分があったということやね。だって俺はただの偏差値秀才で、社会で必要な実際のことができんかったからさ。人付き合いひとつとっても、自分が上からじゃないと付き合えんわけ。俺が偉いんだと思い込んどった。

 たとえばヨット部で喧嘩が起きたときに、うまく互いの言い分を聞いて収めるやつがおるわけよ。俺は自分が上だと思ってるからそういうことはできなかった。人間的にどちらが優れてるか、まざまざと見せつけられた。

——ヨット部に入ろうと思ったきっかけは?

 俺は理科系やったから、ヨットは不思議でしょうがなかった。

 風だけで走って、元の場所に帰ってくるというのが信じられんじゃん。どんなに絵を描いたって、風に押されて走ったら絶対元のところには戻れんわな。それがちゃんと帰ってくるという摩訶不思議よ。

——ヨット部に体罰はありましたか?

 ヨット部にもなかったねえ。