木崎伸也氏が根性の本質を探す「新根性論」。第2回は戸塚宏氏へのインタビューを実施。今回は前編を掲載する。
連載第1回「『東洋の魔女』を金メダルに導いた根性論」はこちら
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/65143
(木崎 伸也:スポーツライター)
俺は体罰を受けんかったんや
——戸塚さんは体罰で有罪になったにもかかわらず、いまだに一部からカリスマ的な支持を得ています。そもそもどんな子供でしたか?
俺はもともと偏差値秀才やったんや。ものすごく成績が良かった。学校の成績がいいと、自分は何やってもできる、俺は万能だ、トップだ、そういう気になってくるもんね。今の偏差値秀才もみんなそうやろ?
小学校のときから先生のお気に入りだったことが、勘違いに拍車をかけた。甘やかされたねえ。あれが一番まずかったなと思ってる。
何かうまくいかなくても他人のせいにしてしまう、反省ができん子供やった。
それがね、名古屋大学に入ってヨットを始めてわかった。自分は物覚えがいいだけで、何にもできんじゃんって。
ヨットを高校時代にやっていた人は少ないから、みんな同じラインからのスタートになる。そうすると自分よりダメだと思っていたやつの方が、早くうまくなるという現実をつきつけられる。
ヨットのおかげで、反省とか協調とか全然できんかったことが、どんどんできるようになっていった。
——戸塚ヨットスクールで問題児に会うと、昔の自分を見るような気持ちになるのですか?
そう。こいつは俺とおんなじ風にして、こうなったなというのがたくさんいた。
——戸塚さん自身は体罰を受けて育ったんですか?
俺は体罰を受けんかったんや。昔やからゼロやないけどな。
でもさっき言ったように先生のお気に入りだったんで、ずいぶんと甘やかされて育った。
——体罰を受けてなかったんですね! 「子供のときに体罰を受けたかった」という思いから、ヨットスクールで体罰を使い始めたんですか?
そういう部分があったということやね。だって俺はただの偏差値秀才で、社会で必要な実際のことができんかったからさ。人付き合いひとつとっても、自分が上からじゃないと付き合えんわけ。俺が偉いんだと思い込んどった。
たとえばヨット部で喧嘩が起きたときに、うまく互いの言い分を聞いて収めるやつがおるわけよ。俺は自分が上だと思ってるからそういうことはできなかった。人間的にどちらが優れてるか、まざまざと見せつけられた。
——ヨット部に入ろうと思ったきっかけは?
俺は理科系やったから、ヨットは不思議でしょうがなかった。
風だけで走って、元の場所に帰ってくるというのが信じられんじゃん。どんなに絵を描いたって、風に押されて走ったら絶対元のところには戻れんわな。それがちゃんと帰ってくるという摩訶不思議よ。
——ヨット部に体罰はありましたか?
ヨット部にもなかったねえ。