赤ん坊は進歩しないと人間になれない
——合宿所で子供たちにどう接していたんですか。まさか四六時中、体罰を使うわけじゃないですよね?
大人がやらん方がええんだ。子供というのは本能的な行動をするやろ。本能が善なんだ。これが性善説。
だから子供同士をほったらかしにしておくと、勝手に善悪を決めながら遊ぶんや。それで善悪を覚えていく。

——子供を集めて集団生活することに意味があると。
そうそう。そこに一番大きな意味があった。子供どうしを遊ばせておくと、まず己がわかるわさ。あいつに比べてだめだとか、あいつよりはええぞとか。これを礼というんだ。礼というのは、自分に対する礼。自分の能力がわかること。
それが相手に対する礼になる。相手の能力がわかること。もし相手の方が上だと思ったら、恥が出るやろ。恥をかかせる場面を用意することが、集団生活の一番大事なことなんや。
動物行動学を読んでごらん。腹が減ったとか、トイレへ行きたいとか、そういう自分に関する本能は生まれたときからちゃんとインプットされとるわけや。
ところが他人に対する本能はね、自然には出てこないんや。そういう場面に出くわして、刺激を受けたときに初めて出てくるから。子供のときに人との接触が少ないとダメになっちまう。
たとえば、こういう実験がある。母ネズミが子を産んだときに乳首を切り落として、子ネズミがおっぱいを吸えん状態をつくってしまう。すると、母ネズミに欠陥が出てくるんや。自分の子供が他のネズミに食われとっても、知らん顔してしまう。
動物は自分の子供がいじめられそうになると、強い奴に平気で向かってくじゃん。どんな動物でもそうやね。ところがそれは初めから備わったものではなく、何かの刺激があるから身につくものなんや。
ネズミの場合、自分の乳首を吸われる刺激があったら、子供と認定するわけやね。
——訓練中に死者が複数出てしまいました。親としてはそういうスクールに子供を預けるのは怖いと思います。
子供の『今』ではなく、『将来』の方が大事かどうかや。将来は今より進歩しとる、それが大前提じゃない? だから子供を進歩させてやろうとせないかんのや。
どうしたら進歩するの? その方法を知らんやつが、子供の『今』に接してうまくいくわけないじゃん。赤ん坊は進歩しないと人間になれない。今の落ちこぼれを見てごらん。ほとんど赤ん坊だから。進歩してないんよ。
——戸塚さんは1975年に沖縄海洋博記念「太平洋-沖縄・単独横断レース」で優勝した一流のヨットマンです。ヨットの日本代表コーチをやっても成功したと思いますか?
どうだろうね、まったく別の話だから。レースはね、スポーツなんよ。スポーツと体育は違う。うちは体育をやっとんだ。
体育というのは、どんなことでもできるようにするのが体育なんや。一生役に立つもの。一方、スポーツというのは競技の世界のことだけ。野球なら野球、サッカーならサッカー。試合で勝つのが目的。
『しゅぎょう』には2つある。1つは修行、もう1つは修業。
体育は修行。スポーツは修業。
行うというのはね、変化という意味なの。体育というのは物の変化の仕方を身につける。
教育というのは修行の方だよ。そうするとすべてに使えるようになるわけや。ヨットをやると、集中力をつける練習ができるんだ。集中力はすべてに有効なんよ。だからヨットで集中力をつける。これが修行だ。
そうやって分けて行かんとダメなのに、学校では体育の時間にスポーツをやっとるじゃん。体育の先生がスポーツと体育の違いを知らんのや。文部省のせいや。リベラルのやつらが日本をダメにしてる。
(中編に続く)