1964年の東京五輪で女子日本代表を金メダルに導いた大松博文監督

 根性は古臭いもの、時代に合わないもの、は共通認識になっている。

 一方で、多くのトップアスリートや経営者たちはそうした「古臭い」ものに原点がある、と語る。

 果たして根性とは何なのか。前編では、スポーツ根性の代名詞とも言える大松博文氏(1964年の東京五輪で女子バレーを金メダルに導いた名将)が、いま使われている「根性」とは違う意味で「根性」を用いていたことを、関東学院大学准教授の岡部祐介氏の言葉から紐解いた。

 後編はその現代性にせまる。

【前編「選手はあの名将に詰め寄った」…根性論の誤解が招く悲劇はこちら
jbpress.ismedia.jp/articles/-/65143

高度経済成長が求めた「エセ根性」

——自主性、創造性、目的合理性。現代の根性論にないものばかりです。現代の根性論は、大松イズムから大事な哲学が抜け落ちた「エセ根性論」と言ってもいいかもしれません。なぜ「エセ根性論」が広まってしまったのでしょう?

岡部:選手が自分自身で考えて動くようにする普遍的な方法論は、簡単には見つからないはずなんですよ。人それぞれ違ってくるはずなんで。そのため大松イズムの簡単に真似しやすいハードトレーニングの部分だけが広まってしまった。

 別の研究者も指摘しているんですが、おそらくビジネス界の問題も関係していると思います。

岡部祐介(おかべ・ゆうすけ) 関東学院大学経営学部准教授。博士(スポーツ科学)。 専門はスポーツ哲学、スポーツ文化論、スポーツ思想研究。中学校から大学まで 陸上競技部に所属。長距離種目を専門とし、大学では箱根駅伝にも出場。現職の大学では陸上競技部の副部長を務める。

 高度経済成長期のビジネス界には「ハイタレント」「中級技術者」「単純労働者」といった労働力を育てなければならない時代の要請があり、大松イズムの中の「とにかくやるんだ」という部分だけが取り出された。

 「モーレツ社員」「24時間働けますか」というメンタリティーが生まれ、そのビジネス界の取り組みが、今度はスポーツの部活動などに跳ね返っていった。

 その繰り返しの中で、当初考えられた理念と考え方が伝わらず、ミスリードされた。それが一番の要因だと思います。

——大松イズムの伝わりきってない部分にもう一度目を向けると、「エセ根性論」の問題がより明らかになりますね。

岡部:1960年代は日本全体で明確な目標が見えていた時代だと思うんです。多くの人が同じ夢を見られた。

 ただし、それ以降、今まさにそうだと思うんですが、人々の考え方が多様化していった。もはや根性という1つの言葉で駆り立てるのは容易ではありません。

 明治以前の時代に「通俗道徳」という勤勉・倹約の考え方がありました。

 危機に直面したときにより着目される思想で、「復興・再建の倫理」とも言えます。たとえば農地が荒れてしまったときにどうやって立て直すか。代表例をあげれば二宮金次郎です。

 根性論も「通俗道徳」に似ていたから、人々が受け入れやすかったという仮説を僕は立てています。1960年代、戦後のどん底から這い上がっていこう、成長していこうという社会的な雰囲気があった。まさに復興・再建の時代ですよね。

 しかし、通俗道徳も根性論も、立て直したあとに、目標を達成したあとに、どうするかまでは教えない思想だと思うんです。

 1964年東京五輪の際、大島鎌吉さんはとにかく選手の考えを変えなければならないと思って「根性」という言葉を採用したと思うんですが、実際に変わったあとのことまでは考えていなかったんではないでしょうか。