ルネッサンス期のフランスでは全身浴という入浴方法は当時、流行していたチフス、コレラ、結核、梅毒などの伝染病になりやすいと信じられたため、国王ですら一生に3回しか全身入浴をしないほど一般的ではなかった。

 そのため、王侯貴族は入浴の代わりに頻繁にシャツを着替え、香水で体臭を隠した。

 ヨーロッパでは当時、たらいを使用した入浴方法が一般的だったが、19世紀、英国でウィリアム・フィーサムがシャワーを発明して以降、シャワーによる入浴が瞬く間に全世界に普及した。

 沐浴はキリスト教では「洗礼」、日本の神道では「禊」、イスラム教では「グスル」、ユダヤ教では「テビラー」と呼ばれるなど、宗教ごとに呼び名は異なるが、身体を潔めることで俗から聖へと移行するという意味は共通する。

褌(ふんどし)にまつわる妖しい風習

 海外では温泉や公衆浴場で入浴する際には水着や前掛けを着用して入るのが一般的だが、不特定多数の人と共同浴場で「全裸入浴」するのは、日本独特の入浴習慣である。

 だが、日本でも江戸時代、元禄の頃までは、銭湯に出かける者は、普段、着用しているものとは別の褌(ふんどし)を持参して、風呂に入る際、男は湯褌(ゆふんどし)、対して女の使用するのは女褌である湯巻、宮廷の女房言葉で湯文字(ゆもじ)という女褌を着けて入浴した。

『銭湯手引草』によれば元禄の時代になり「褌もはずして丸裸となり、ただ手拭などで前を隠して入浴するようになった」とある。

 たとえ同性同士であろうと全裸になるということは、道徳的にも、性的な羞恥にも問題はある。

 だが、それは入浴の時に限った行為でもあり、群集心理も手伝って時間を経て一般的な慣習となったという。

 しかし、他人の目前に一物を晒すということは、羞恥、道徳、礼儀の問題として受け止められ、イチモツを手や手拭いで隠して入浴するのは最低限の常識とされた。