安本が成功した4つ目のポイントですが、これは官民のエリートが結集していたということです。次官級待遇の総合調整委員会副委員長として経済学者の都留重人さんがいたり、官房長として後に通産省の事務次官となる山本高行さんがいたり、後に役人から産経新聞社長になる稲葉修三さんがいたりしました。この3人は「安本三羽ガラス」と称される大物でしたが、それ以外にも大来佐武郎さん(のちの外相)、大平正芳さん(のちの首相)、下村治さん(エコノミスト)、橋本龍伍さん(のちの厚生相、文相。橋本龍太郎元総理の父)といった人物が役所から来ていました。また民間からも、富士製鉄の永野重雄さん(のちに新日鉄会長、日本商工会議所会頭など)らが入っています。こういった官民のエリートが集結していたのです。
デジタル庁の行方を見る上でも、やはりこの4ポイントは大事になると思います。
デジタル庁、条文上は「最強官庁」たる資格あり
では現在、デジタル庁はどうなっているのか。一番目の各省に対する優越については、デジタル庁設置法を見る限り、かなり強い表現が入っています。法制面で考えると、設置法で「企画立案」や「総合調整」機能の入っている組織はかなり強い権限を持つと考えて良いでしょう。その点で言えばデジタル庁設置法の第4条の1項1号を見ると、その「事務」として「デジタル社会の形成のための施策に関する基本的な方針に関する企画及び立案並びに総合調整に関すること」と定義されています。
他にも条文を読んでいくと「企画立案」、「総合調整」といった言葉が何度も登場します。そういう意味ではデジタル庁は、各省に優越するような強い機能を付与されているようにも見えます。
ただこの点に関して、若干の懸念もあります。というのも、条文の際にカッコ書きで、「他の府省の所掌に属するものを除く」「法務省の所掌の所掌に属するものを除く」「総務省の所掌に属するものを除く」などと書いてあるのです。これは法制執務の世界では「除く」(じょく)と呼んだりしますが、権限の調整の末に盛り込まれた一文であろうことが想像できるわけです。