今われわれにできること

「先憂後楽」という言葉があります。君子たるもの、人より先に世の中を憂いて、楽しむときは人より後に楽しむという、「後楽園」の元になった言葉です。仮に上記の私の言説が正しいとして、今の日本の状態を早めに憂えたとして、われわれに何ができるでしょうか。もはやGAFAや中国勢に立ち向かえない以上、「せいぜい情報を取られないようにするため、彼らのサービスはあまり使いません」というごくささやかな抵抗しかできないのでしょうか。

 私が10年前に立ち上げ、現在11期生を募集している青山社中リーダー塾(https://aoyamashachu.com/leader/)では、こうした「答えのない問い」について、果敢に挑戦する者の育成を目指しています。思えば、これまでの戦後の日本の教育では、「正解」があってそれを確実に理解して提示できる教育ばかりが行われてきました。本来「学問」(=問いを学ぶ)をするべきなのに、答えのある「勉強」を中心にしてしまったのです。

 こうした答えがない問いに果敢に挑み、実際に行動する者を私は「始動者」と呼んでいます。そして、私がハーバード大行政大学院(ケネディスクール)などで、まさにハーバードが看板に掲げて注力して教育している「リーダーシップ論」を学んだ結論としては、リーダーとは「始動者」にほかならず、「指導者」は私の認識では「誤訳」です。指で他者を導くのは真のリーダーではありません。自ら道を切り拓いて進む者こそがリーダーの原義なのです。

 かつて、自動車産業でも家電産業でも、絶望的に欧米から遅れをとっていた日本ですが、井深大、本田宗一郎、豊田喜一郎、松下幸之助といった「リーダー」たちは、諦めることなく、果敢に挑戦して「世界を獲りに」行きました。幕末維新の志士たちは、初めて見る欧米諸国の文明に文字通り圧倒されながらも、「欧米に対する我が国の遅れは40年に過ぎない」(『欧米回覧実記』:久米邦武)と、本来は絶望的な遅れに感じる差をむしろ「追いつけるもの」として認識して、実際に追いつきました。それに比べれば、現在のわれわれが置かれている状況は、はるかに恵まれてはいないでしょうか。

 最近は、リーダー塾生たちからも若き起業家たちが多数出て来ており、フィンテックやMaaS、リビングテックといった分野で頑張り始めていますが、奮起を期待しています。

 個人として、あるいは集団として、国や社会を意識して始動する集まりを意識していますが、現在は、見方によっては、幕末や戦後の動乱期とも似て来ています。危機感の高まりの中で、例えば、幕末には、松下村塾、適塾、致遠館などの多くの私塾や藩校が生まれ、社会を作る原動力となりました。多くの真のリーダーが、正しい危機の認識の中で生まれてくることを願っています。