イギリス東インド会社ととって不可欠のパートナー
17世紀初頭は、イギリスやオランダが東インド会社を設立して、東南アジアとの貿易に乗り出した時期です。そのころ、アルメニア人はすでにインドで盛んに商業活動を行っていました。
ヨーロッパ諸国のアジア進出の大きな目的は、香辛料の輸入でした。香辛料の主な産地は東南アジアのモルッカ諸島でしたが、1623年、そのモルッカ諸島のアンボイナのイギリス東インド会社の商館がオランダに襲撃され、館員全員が殺されるという事件が起こりました。このころからイギリスは東南アジアでの香辛料貿易から撤退し、アジア進出で重心をインドに移すことになります。
イギリス東インド会社がインドとの交易を介するにあたって、どうしても必要としたのがすでにインドで確固たる地位を築いていたアルメニア商人の仲介でした。1688年、イギリス東インド会社は、インド・アルメニア商業人協会と協定を結び、アルメニア商人にさまざまな特権を付与しつつ、貿易の仲介やイギリス商館の代理人としての役割を彼らに期待しました。アルメニア人とのこうした関係が、イギリス東インド会社の後の隆盛に繋がっていくのです。こうしてイギリスはインドから宝石や絹、穀物などを輸入することが可能になりました。香辛料にしても、アルメニア人を介して輸入ができました。
歴史上、華々しく綴られているイギリスのアジア進出ですが、そのとっかかりにおいて、アルメニア人が大きな役割を果たしたのでした。