商業で世界各地に進出
そうした環境下で、アルメニア人はユーラシア大陸の広い地域で活躍する商業の民となっていました。アルメニア人の居留地は、中東を中心として、ヨーロッパにも及んでいました。
ヨーロッパ諸国にしてみれば商業の相手としては、ムスリムであるトルコ人よりも、キリスト教徒であるギリシア人やアルメニア人、それにユダヤ教徒の方がはるかに安心できる人々でした。このことがアルメニア人とヨーロッパ諸国との商業を盛んにする要素となりました。一方で、サファヴィー朝、オスマン帝国、ムガル帝国という3つのイスラームの帝国にとっても彼らは欠かせない商業・金融の民だったのです。
17世紀、アルメニア人の商業活動の拠点は、イスファハーンに建設した新ジョルファーでした。この新ジョルファーを核としたネットワークは、上記地図に描かれているようにロシア、ヨーロッパ、中東、アジアと非常に広範囲に伸びていました。
16世紀以来、アルメニア人は絹の貿易商人として有名な存在でした。近世のヨーロッパで紡がれる生糸の大半はカスビ海沿岸で生産され、それがイランで絹になりました。ヨーロッパで消費される絹は生糸換算で年200~250トンでしたが、その絹の80%はイランから輸入されたものでした。その輸送を担っていたのがアルメニア人でした。