イエズス会の創設者の一人で初代総長となったイグナティウス・ロヨラ(写真:picture alliance/アフロ)

 1517年にマルティン・ルターの「95カ条の論題」によって宗教改革がはじまると、カトリック側では、その動きに対抗するための「対抗宗教改革」が始まります。その中核になったのが、1534年に創設されたイエズス会でした。

 イエズス会を創設したイグナティウス・ロヨラ(1491〜1556)は、スペイン・バスク地方の騎士の家に生まれ、軍人として活躍しますが、29歳の時に戦争で負傷し、父親の城で療養生活を送ります。そのときにキリスト伝などに触れ、聖人のような自己犠牲の生活にあこがれを持つようになりました。

 ケガが快癒した後、ロヨラは修道院に入り、エルサレムを巡礼し、そしてパリ大学で神学を学ぶようになります。そこで出会ったのが6人の同志です。

 フランス出身のピエール・ファーヴル、スペインのバスク出身のフランシスコ・ザビエル、スペイン人のアルフォンソ・サルメロン、ディエゴ・ライネス、ニコラス・ボバディリャ、そしてポルトガル人のシモン・ロドリゲスとともに、パリのモンマルトルの丘に登り、神に自分の生涯をささげる誓いを立てました。これは、「モンマルトルの誓い」と呼ばれます。これがイエズス会発足のきっかけとなります。

 ロヨラはイエズス会の初代総長になり、それからイエズス会はすぐさま世界各地で宣教活動を展開します。では、なぜイエズス会は非常に早く世界的機関として発展することができたのでしょうか。

ロヨラとの「血筋」

 イグナティウス・ロヨラは、幼い頃には父親が聖職につけようとしていたようですが、前述のように本人は軍人の道を志し、実際に軍人として過ごしていました。ところが1521年にパンプローナの戦いにおいて、砲弾が足に当たって負傷し、ロヨラ城で療養生活を送ることを余儀なくされました。この療養期間にたまたま『キリストの生涯』、さらにはキリスト教の聖人伝集『黄金伝説』を読んだことで、彼の人生は一変します。キリストやその弟子たちの生涯に心を打たれたロヨラは、自らも聖地に赴き、さらには非キリスト教徒を改宗させようと決心するのでした。傷が癒え、エルサレム巡礼の旅に出たのは30歳の時でした。

 ロヨラは元来軍人でしたから、彼が考えた組織は、軍隊に似ることになりました。イエズス会が教皇の意を汲んで世界中で宣教活動をし、規律を重んじたことは、その表れです。