「産業革命期のイギリスでは、10歳に達しない子どもを、危険な鉱山労働に使っていた」(『最新 政治・経済 改定版』実教出版、2019年、110ページ)というような記述は、産業革命期を扱った著作でしばしば見られます。
しかし、現実はこのように簡単なものではありません。子どもが危険な労働、あるいは長時間労働に就くのは、工場労働に限らず、中世の農業社会にも広く見られたからです。1833年の年の工場法をはじめとして、成人男性、少年・女性の労働時間の短縮がはかられ、一種の働き方改革が実現されていきます。それは、工場労働により、初めて労働時間が「目に見える」ものになっていったからでした。
エンゲルスが著した『イギリスにおける労働者階級の状態』の衝撃
18世紀後半に産業革命を経験したイギリスでしたが、蒸気機関の本格的な導入は19世紀に入ってからのことで、工場制度が本格的に普及したのもそれ以降のことです。そもそも、イギリス産業革命の主要商品であった綿織物の生産量において、イギリスがインドを上回るようになったのは1820年代のこととされていますので、産業革命期のイギリスの経済成長率は、決して高いものではありませんでした。
産業革命により都市部に工場が出来るようになったイギリスでは、都市に住む元農業労働者が増加します。これは、イギリスの農業の生産性が高く、そのため農民の数が少なくても済むようになり、以前なら農村で農業をしていたはずの人々が都市の工場労働者になってきたのです。イギリスで産業革命が生じた背景には、このような事実がありました。
当時、イギリスの工場では、子どもの労働は当たり前でした。しかも、彼らは信じられないほどの長時間労働をしていました。それを問題視したのが、1842年に出版されたエンゲルスの『イギリスにおける労働者階級の状態』です。この本は、イギリスの工場で働く労働者の悲惨な状況を描いたルポルタージュとなっています。
<機械の導入以前には、原料を紡いだり織ったりする仕事は労働者の家でおこなわれていた。妻と娘が糸を紡ぎ、夫がこれを織った。あるいはその家の主人が自分で織らない時には糸を売った。これら織布工の家庭は、たいてい都市の近くの農村に住み、その賃金で十分に暮らすことができた>(フリードリヒ・エンゲルス著、浜林正夫訳『イギリスにおける労働者階級の状態』上、新日本出版社、2000年、22頁)