フランスの人類学者・歴史学者であるエマニュエル・トッド氏は、ソ連の崩壊やアラブの春、トランプ大統領の誕生などを予見したとして知られる。人口に関する膨大なデータと蓄積された知識から歴史を分析、導き出された結果から未来の世界をも描き出す。
『エマニュエル・トッドの思考地図』(筑摩書房)では、大野舞氏(本書翻訳者)との対話から「現代最高の知性」といわれるトッド氏が、自らの思考方法を「歴史」(長期的な視点)、「データ」(ひたすら事実を集めること)、「外在性」(視点を外の世界に置くこと)──の3点から解剖する。
コロナウイルスによって暴かれたグローバリゼーションの影、米ロ関係と中国の脅威、日本の果たすべき役割、そしてパンデミック以後の世界の道筋についてトッド氏に聞いたインタビューの後編。(聞き手:長野光 シード・プランニング研究員、インタビュー通訳・翻訳:大野舞 ※インタビューは2021年2月12日に実施しました)
(※記事中にエマニュエル・トッド氏の動画インタビューが掲載されているので是非ご覧ください)
※前編:「日本の使命は、対中国のために米露を組ませること」(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/64566)
──「日本には伝統的にしっかりと組織された直系家族とよばれる家族構造がある。受動的な社会心理の原則があり、人々は共通の習慣を持っている。しかし、人口減少という根本的な問題を抱えながら、大きな共同プロジェクトに参加している意識が不在である。能動的な帰属意識が欠けているのではないか。この能動的な帰属意識は、集団に目的を与え、歴史の中で未来に向かって進んでいるという感情を人々に与えてくれるものである」と述べています。能動的な帰属意識とはどのようなものなのか、ご考察を教えてください。
トッド:人生の中で大きな病理を二つ見てきました。共産主義とネオリベラリズムです。前者は集団がすべてだと、後者は個人がすべてだと考えています。
私にとってネオリベ主義者は病気であり、同情をもって見てあげなければいけない。彼らは英語やフランス語、日本語など自分たちが話す言葉さえも、実は集団から与えられたものであり、さらにそれが自分たちの脳を形成しているものであることにすら気づいていないのですから。つまり、ネオリベラリズムというのは原因ではありません。何かの結果として現れてきているもので、病理のようなものなのです。
「個人がすべてである」という思想は、ネオリベラリズムあるいは超リベラルが生み出した大惨事です。私たちは確かに個人であり、合理的で利己主義的、あるいは利他主義的な側面も持っています。しかし同時に、「社会は私たちの内にある」とも思います。リベラルな文化においても、私たちは個人であると同時に集団でもあるという、人間の二分性という側面を受け入れるべきなのです。
これはデュルケームから私たちが学んだことですが、社会は我々の内にあるのです。そして強い個人というのは強い社会に存在します。例えば、古典ギリシャのアテネには素晴らしい個人主義があり、それは集団感情とも融合しつつ、集団による強靭な支配というものも存在していました。もし集団が脆弱であれば、個人もまた脆弱になります。
集団的な枠組み(思想や信仰)が崩壊すると、個人はより自由になれるわけではなく、個人は混迷して縮小し、思考能力の低下を招くのではないか、と考えています。集団というのは、私たちの遺伝子の基盤になる部分に含まれていると私は確信しています。単なる構築物ではなく、ここにあるのです。