憲法改正に賛成か反対かという質問には意味がないと語る(写真:Rodrigo Reyes Marin/アフロ)

 憲法学者の木村草太氏は大の将棋ファンとしても知られるが、法学と将棋には共通点があるという。それは「相手は一番自分の痛いところをついてくる」という前提で考えなくてはならないということだ。だから法律家には、相手がどんな人だとしても一番痛いところを突くことを躊躇しない、ある種の性格の悪さが必要なのだ、と。

 憲法学者として考え続ける。問いを立て、法律に照らし合わせて他の条文との整合性があるか、矛盾や見落としがないか。憲法から考える死刑制度の矛盾、処罰感情を根拠とした死刑存置論の弱さ、憲法9条改正の語られ方、通称使用を前提とした婚姻の法的問題について、『憲法学者の思考法』(青土社)を上梓した木村草太氏に話を聞いた。(聞き手:長野光 シード・プランニング研究員)

(※記事中に木村草太氏の動画インタビューが掲載されているので是非ご覧ください)

──憲法とは「国家権力がしでかした失敗への反省から作られた張り紙のようなものだ」と指摘しています。これはどういう意味でしょうか。

木村草太氏(以下、木村):通常、立憲主義国において憲法は、法律よりも上位の効力を持ちますから、憲法に反する法律は制定できません。ほとんどの国で、憲法は厳格な手続きを経た上で作られる特別に強い効力を持っており、他方、通常の法律は議会の多数決で決定できます。

 国家権力は過去に、人権侵害や独裁などの失敗を繰り返してきました。それを禁止する法律を作っておかないといけない。議会での多数決で変えられるのでは意味がないので、より厳格な手続きで制定し、改正する場合も厳格な手続きを踏まなければいけない、と考えられるようになりました。憲法が生まれた背景には、こうした失敗の歴史があります。

──将棋がお好きなようで、本書の中にも将棋をテーマにしたものがありますね。

木村:将棋では、相手が自分にとって最も厳しい手を指してくる前提で、自分の手を選択しなくてはなりません。この思考法は、実は法学の思考法にも通ずるものです。厳しい世界で戦う棋士の先生方の言葉は、いつも刺激になります。

 一つ例を挙げると、升田幸三先生には「アマチュアは駒を動かしただけなんです。『指した』ということとは別のことですよ」という名言があります。将棋をすることを「指す」と言いますが、プロとして将棋を「指す」ことへの自負がみなぎっていますよね。私もいつか「法学者として法を解釈する」ことにここまでの自負を持てるようになりたいです。

 大変ありがたいことに、私は何度か将棋のタイトル戦の観戦記や観戦エッセイを書かせていただいた経験があり、今回の本にも収録されています。トップ棋士の対局を見ると、この小さい盤の上にこれほどの世界が広がっていたのか、といつも驚かされます。私の観戦記は将棋のルールが分からなくても読めるように書いてあるので、将棋の広さと深さを感じてもらえると嬉しいです。

──1948年最高裁判所は「死刑は合憲である」と判決を出しました。もっと議論されるべきだと木村さんが考えられている「死刑違憲論」について教えてください。