最高裁が軽々しく違憲判決を出せない理由
──最高裁が軽々しく違憲判決を出せないのはなぜでしょうか。
木村:民主的な国家では、「私たちはなぜ権力に従うのか」と問われれば、「私たち自身が関与して選んだ代表たちが決めたことだから」というのが答えになります。それが民主的正統性です。最高裁の民主的正統性は、ゼロではないにしても国会に比べれば圧倒的に弱い。
例えば、日本の消費税は10%ですが、「この10%という数字はどのように決めたんですか」と政府に問うとします。そこで「国会で皆さんの代表者が決めました」と答えるのと、「首相がサイコロ振ったら10が出たからです」と答えるのでは、従う側の気持ちはだいぶ変わります。支配をする側が支配をされる方に、「どれだけ従ってもらうべき理由を説明できるか」。これが正統性の問題です。
国会は、「国民自身が選んだ代表である」という非常に強い民主的正統性を持っています。一方で、最高裁判所の裁判官は、民主的正統性が国会に比べればかなり弱い。だから、「国会で作った法律はできるだけ尊重すべきだ」というのが最高裁の態度です。最高裁の正統性は、法と憲法にあります。「法と憲法に照らしてどう考えても間違いだ」という場合でないと、国会を乗り越える正統性を示せないので、慎重にならざるを得ないわけです。

──憲法学者になられた理由を教えてください。
木村:自分の性格の悪さを、正義のために役立てられる仕事だからです。法律家には、ある種の性格の悪さや強さが必要です。相手の理論の穴を突いて一番相手が嫌がることが何かということを考えなければならないからです。
法律は、当事者が激しく対立する主張の中で、どうすべきかを裁断します。対立する主張を客観的に判定するためには、自分の立場をただ一方的に言うだけでは足りません。相手が自分に対して一番厳しいところを突っ込んでくる、という前提でものを考えなければなりません。ですから、自分自身を含め、相手がどんな人だとしても、その人の主張の一番痛いところを突く。そのことを躊躇しない。そんなある種の性格の強さや悪さが必要なんです。(構成:添田愛沙)