腐乱遺体を背負う

 現場に到着した府警本部の検視官が、検視をしながら私に話しかけてきた。

「腐敗がかなり進行してるけど、一応、遺族に確認してもらわんとな。遺族なら、本人かどうかぐらいは見わけがつくやろうし」

「たぶん無理でしょう。和ダンスのところにあったアルバムを見たら、生前の本人はやせた体型の人だったようです。しかし、いまは黒鬼の巨人顔ですからね・・・」

 遺体の表面は腐敗が進むと、青→赤→黒と段階的に変色していく。そして、むくんで大きくなった巨人顔は一様に鬼のような形相になるため、鑑識現場ではそれらを「青鬼」「赤鬼」「黒鬼」と呼んでいる。黒鬼化した女性には、生前の面影は微塵もなかった。

 検視官の判断で、女性の遺体は司法解剖にまわされることになった。そのため遺体を法医学教室まで搬送しなければならないが、問題は現場の4階から1階までどうやって遺体を下ろすかである。

 管理会社のスタッフによれば、ここのエレベーターはストレッチャーを運ぶ(非常時にかごの奥行を広げる)ことができるタイプだという。私は階段ではなく、エレベーターで遺体を運ぶことにした。

 移動方法が決まれば、あとは実行するだけだ。私たちは女性の遺体を極楽袋に移す作業に取りかかったが、これが思いのほかたいへんだった。遺体の腐敗汁で床はぬるぬるしており、ビニール製の足カバーに慣れていない若手は何度も足を滑らせていた。派手に転んだせいで、作業着のズボンが腐敗汁をたっぷりと吸い込んでしまい重そうだ。作業を終えたころには、水色の変死用エプロンがすっかり茶色に染まっていた。

 このとき使用した極楽袋は、端に取っ手がついた担架式だった。この袋は、署の強行犯係にたった1枚しかない貴重品だ。使用後はタワシに洗剤をつけて蛆虫や腐敗汁を洗い落とし、クレゾールで消毒して次の変死事件でまた使うことになる。

 遺体をエレベーターホールまで運ぶと、管理会社のスタッフにかごの奥行を広げてもらったが、残念ながら遺体を水平に寝かしたままでは、かごの中におさまりきらなかった。

 やむなく遺体の体勢を少し曲げてみることも検討したが、そうするとガスでふくれ上がった遺体から多量の腐敗汁が絞り出されてくる可能性が高い。そこで遺体を斜めに起こした状態のままで、エレベーターに乗せることにした。

 その方法はいたってシンプル。人力だ。

「せーの!」という掛け声で極楽袋を持ち上げると、その下に素早く潜り込む。そして、私が遺体を背負う格好で斜めに受け止めた。

 ずしりとした重みを背中に感じる。小柄なおばあさんがこんなに重いとは——。まさにこれが「命の重み」なのだろう。

 肩のあたりに腐敗汁が垂れ落ちてきた。気になってしょうがないが、もはやこのままの状態で行くしかない。

 私は老女の遺体をおぶったまま、エレベーターを下降させた。