2018年にソウルで開催されたキムチフェスティバルの様子(写真:ZUMA Press/アフロ)

 これまで韓国人は様々な韓国起源説を主張してきた。日本関連だけでも相撲や歌舞伎、醤油、日本酒、うどんなど、例を挙げればキリがない。だが、韓国のアイデンティティとも言えるキムチを巡り、中韓でキムチ起源論争がわき起こっていることをご存じだろうか。

 2020年11月、中国四川省の塩漬け発酵野菜「泡菜(パオツァイ)」の製法や保存法が国際標準化機構(ISO)の認証を受け、中国共産党の機関紙「環球時報」は「キムチ宗主国の屈辱」と報道した。韓国の人気モッパン(飲食の様子を撮影した動画)ユーチューバー Hamzyさんは「中国人がキムチやサムなどを自国の伝統文化だと主張する」とコメントしたが、すべてのコンテンツが中国のSNSや動画共有プラットフォームから突然削除されるなど、韓中間でキムチ起源論争が巻き起こった。

キムチはパオツァイの派生形

 キムチと聞くと唐辛子で漬けた赤いキムチを連想するが、元来、キムチという語は漬物の意味で使われた言葉だ。1760年代の韓国の飢饉時に、高騰した塩の代替品として唐辛子が使われたのが現在の韓国キムチの始まりだ。

 中国がISO認証を受けた「泡菜(パオツァイ)」は「塩に漬けた野菜」という意味だが、高麗時代の書物『高麗史』に記述された韓国最初のキムチは祭祀のお供え物「沈菜(チムチェ)」で、塩漬けした野菜に、ニンニク、ショウガを入れて作られている。記述だけを見れば、パオツァイとキムチの元祖であるチムチェは何ら変わりがない。それぞれの国でそれぞれの風土や国民性、生活習慣に合わせて少しずつ変化したに過ぎない。

 キムチが日本で知られるようになったのは、1910年の韓国併合以降だ。朝鮮漬けと呼ばれ、辛くて臭いものという認識から、それほど普及はしなかった。そのキムチが日本で普及したきっかけは、1988年のソウル五輪に伴う韓国ブームだ。テレビや新聞、雑誌などが韓国特集を組んだことで韓国に「好感」を持つ人が増え、2002年の日韓ワールド杯がキムチブームに火をつけた。

 さらに、2003年に韓国のテレビドラマ「冬のソナタ」が放映されて、第一次韓流ブームが巻き起こり、エンターテインメントと韓国料理のブームが始まった。これを契機に新大久保のコリアタウンの日本人客が増加。オールドカマーのコリアンタウンとして知られる東上野のキムチ横丁や大阪・鶴橋駅付近にも日本人客が押し寄せた。「近くて遠い国」といわれていた日韓の距離が近づいた瞬間である。