1945年8月15日、昭和天皇の「玉音放送」で、ポツダム宣言の受諾を国民に知らせ終えた鈴木貫太郎内閣は総辞職し、6年余りにわたる第二次世界大戦は終結した。その後、日本は高度成長を経て、1968年にはGNP(国民総生産)が米国に続く世界2位となった。異例の快進撃は「東洋の奇跡(Japanese miracle)」と呼ばれた。
戦後、焼け野原で何もないところから先進国となった日本。だが、その日本にたかろうとする国が現れた。かつて日本の統治下にあったお隣、韓国である。
韓国国家予算を超える資金供与と貸付け
日本と韓国は、終戦20年後の1965年6月22日に日韓基本条約と日韓請求権・経済協力協定等を締結した。その時に、日韓両国と国民の財産、権利及び利益と請求権問題が「完全かつ最終的に解決されたことを確認」した。
日本はまた、朝鮮戦争で荒廃していた韓国に無償金3億ドル、有償金2億ドル、民間借款3億ドル以上(当時1ドル=約360円)の資金供与と貸し付けを行った。現在の価格に換算すると合計4兆5000億円相当だ。なお、当時の韓国の国家予算は3億5000万ドルほどだった。
日韓請求権協定で日本が拠出した資金は、旧日本軍人や、いわゆる徴用工など被害にあったとされる人々への個人補償が主だった。しかし、当時の韓国政府は個人に対する補償はほとんど行わず、京釜高速道路をはじめする各種インフラの開発や浦項総合製鉄など企業の強化を行った。これにより、韓国経済は急成長を遂げた。
余談だが、韓国経済の急成長は「ハンガンの奇跡」と呼ばれ、韓国の教科書には必ず載っていた。2019年度の小学生向け国定社会科教科書から、ハンガンの奇跡に関する記述は削除されたが、韓国人なら誰もが知っている韓国が誇る歴史的に偉大な功績だったのだ。