(霧立灯:フリーランスライター)
束の間の冬休みが終わった。子供たちは、コロナ下で規制の多かった学校生活を離れ、のびのびと過ごせただろうか。
そんな憂慮が頭をかすめるのは、冬休み前に宿題とともに小学校から配布された、生活指導のプリントの束からきている。「朝の体温」「早寝」「早起き」「朝ご飯」「学習」「ゲームやテレビ」「毎食後の歯磨き」「家の手伝い」・・・。毎日、項目ごとに数値や時間を書き込んだり、色を塗ったりしてチェックする仕組みになっている。まるで一分一秒でも長く、子供を学校の影響下に留めておきたいかのように思われるこの生活指導プリント。
また、冬休みの過ごし方についてのしおりも配布され、「学習」「生活・家の仕事」「体力づくり」「チャレンジしたいこと」について、それぞれの「めあて」(目標)を記入し、休み明けに提出することになっていた。なんとも力の入った冬休みだ。
長年イギリスで子育てをしてきた筆者にとって、長期休暇中に宿題が出るだけでも文化の違いを感じたが、休み中の生活の隅々にまで学校の指導が入ることに大きな違和感を覚えた。「休み」のはずなのに、どこかで見えない手綱を握られている感じがそこかしこにある。
さらには、保護者あてにも冬休みの過ごし方についてのプリントが配られた。生活面の隅々にわたる注意や指導が、細かい字でびっしりと書かれていた。
子供ばかりか、親までも学校から指導監督されているように感じた。
帰国して以来、学校教育に対して感じてきた「モヤモヤ」。それは、日本では親の教育権があまりにも軽視されているばかりか、時として親までが教育の対象とされているのではないかという違和感だった。
子供の教育の担い手は、学校、家庭、それから地域社会と定義されることが多い。しかし、本来その三者の中でもっとも優越して教育権を付与されているのはどこなのか?
それは家庭である。2006年に改訂された教育基本法には、「父母その他の保護者は、子の教育について第一義的責任を有する」との条文が新たに加えられた(第十条)。学校の教師は長くてもほんの数年しか一人の子供に関わらないが、保護者は子供の命が宿ってから成人するまでずっと責任を持って育てていくのだから、当然のことだ。
保護者は学校に子供の教育の一部を委託しているだけで、白紙委任状を渡しているわけではない。しかし、日本では親の教育権がかすむほど学校が依然として根強い影響力を持っている。