(篠原 信:農業研究者)
「社会に出たらそんなことじゃやっていけないぞ」
そんな物言いは、ごく日常的に耳にするし、今更疑問視もしないだろう。だが不登校やひきこもりの当事者には、もしかしたら恫喝にしか聞こえないかもしれない。
社会とは、他人だらけの海
不登校やひきこもりになっている子ども(あるいは大人)が、重々承知していることがある。順番通りであれば親が先に死に、いつか自分の力で稼ぎ、生きていかなければならないことを。そのためには社会と呼ばれる「第三者の海」に飛び込み、その中で泳ぐ術を身につけねばならないことを。
しかし、今の子ども達は第三者と関係を結べる場所が、学校に限られている。もし不登校になったら、その子どもは、第三者と関係を結べる場所を失ってしまう。昔はご近所に自営業の人も多かった。子どもは第三者の大人に触れる機会も多く、大人から「ちょっとうちの店を手伝ってくれないか」と声をかけることだってできた。
唯一の居場所であるはずの家も、安寧の場ではない。親はいつか先に死ぬから、子どもには自活できるようになってほしい。だから焦る。第三者と関係を結ぶ訓練ができる唯一の場所―学校―に通えと子どもに迫るしかない。追い詰められた子どもは、不登校となり、ひきこもりとなる。
大人は子どもを叱咤激励するつもりで「そんなことじゃあ社会に出てやっていけないぞ」と口にする。その言葉は、その通りかもしれない。社会とは、赤の他人だらけ、第三者の海。そこで生きていこうとしたら、この海の泳ぎ方をマスターするしかない。