後白河法皇の供養のため鎌倉時代に写経された『理趣経』(『白描絵料紙理趣経』:国宝)

 密教はインドで仏教の最終段階に発生した教えである。

 密教は初期、中期、後期に分かれる。初期は雑密といい、真言を唱え呪術を操ることは行われていた。

 しかし体系化されたものではなかった。言葉に呪力を込める行為は密教派生以前に、既に仏教で取り入れられていた。

 大乗仏教が行き詰まり、新たな形態として派生したのが中期密教である。

 様々な修法が体系づけられ、大いなる存在(大日如来)が宇宙を司るという理論が確立し、『大日経』『金剛頂経』などの経典が編纂された。

 初期の雑密に対し、純密と呼ばれる。

 唐の皇帝が帰依し、空海が日本に伝えた密教は、この中期密教(純密)にあたる。

 後期密教はチベットに伝えられ、一般の仏教とは一線を画している部分も見受けられる。

 それは瞑想による性的な瑜伽(ゆが)が重要視されるなど、秘儀により悟りに迫ろうとする教えもあり、スートラ(仏教では釈迦の教法を文章にまとめた経)に代わりタントラ(女性原理=性力を教義の中心とする聖典)も構成されている。

 後期密教経典は中国でほとんど翻訳されることなく、東アジアに広まることはなかった。