しかし、振り返ってみれば兆候もないわけではなかった。
安倍首相は8月24日、慶応大病院の検査を終え、官邸に入る際、記者団に「大変厳しい時にあっても、至らない私を支えてくれた全ての皆さまに感謝申し上げたい」と謝意を示している。今思えば、いつもとは異なる、妙な言い回しであり、“終わり”を意識した言葉であったことがわかる。
とはいえ、この言葉だけで、近いうちに退陣するだろうとの見通しを立てられた人はほとんどいないだろう。24日から28日までの5日間、安倍首相は「敵を欺くにはまず味方から」の権謀術数の鉄則を守り、表に出る日程に辞意表明に向けた布石を打った。
「臨時代理」阻止、総裁選方式も思うまま
8月28日の記者会見では、安倍首相の「低姿勢」が目立った。
「任期をまだ1年残し、他の様々な政策が実践途上にある中、コロナ禍の中、職を辞することとなったことについて、国民の皆様に、心よりお詫びを申し上げます」
「自分自身の健康管理も総理大臣の責任だろうと思います。それが私自身、十分にできなかったという反省はあります」
「病気と治療を抱え、体力が万全でないということのなか、大切な政治判断を誤ること、結果を出せないことがあってはなりません」
体調が万全ではないことが一目でわかる状態でありながら、無礼千万ともとれる一部記者の質問にも真摯に対応した。
効果は絶大だった。「病気についてあれこれ言うのはかわいそうだ、よくやった」という世論がまたたく間に形成された。安倍首相に厳しい姿勢を取ってきた野党議員からも、ねぎらいや慰労の言葉が次々に飛び出し、国民民主党所属議員からは、政治判断を誤ることはあってはならないので辞任するという理由を「潔い」と褒めたたえる声も出た。
思い出されるのは、安倍首相の大叔父でもある佐藤栄作首相の退陣会見だ。
1972年、佐藤栄作首相は、官邸と記者クラブとの行き違いもあって、花道となるはずの退陣表明会見を記者不在で行っている。佐藤首相は記者会見場に入った途端、新聞記者たちが集まっているのを見て不快感をあらわにし、「テレビカメラはどこにあるのか。新聞記者の諸君とは話さないことにしてるんだから。国民に直接話したいんだ。文字になると違うから。偏向的新聞は大嫌いだ」と言い放ち、最終的に記者団不在のまま記者会見が始まった。安倍首相は大叔父の大先輩とは正反対に、引き際の記者会見は成功したと評価されよう。