日本でも定着しきっているサラダ。だが、生野菜の食文化は西洋由来のものである。

 1935(昭和10)年創刊の月刊誌『栄養と料理』(女子栄養大学出版部刊)の2号目から付録についたのが1枚の小さなカード「栄養と料理カード」。健康に留意したおいしい料理が誰でも作れるように、材料の分量や料理の手順、火加減、加熱時間、コツなど納得のいくまで試作を重ね、1枚のカードの表裏に表現。約10×13cmの使いやすい大きさ、集めて整理しやすい形にして発表した。
 この「栄養と料理カード」で紹介された料理を題材に、『栄養と料理』に約30年にわたり携わってきた元編集長が、時代の変遷をたどっていく。
 なお、『栄養と料理』は現在も刊行している(http://www.eiyo21.com)。

 今でこそサラダは一般的な料理だが、かつて日本の野菜料理といえばあえ物や煮物、漬物だった。サラダのように油を使い、野菜を生で食べる習慣は、明治維新以降に入ってきた西洋の食文化によるものである。

 1872(明治5)年に刊行された『西洋料理指南』(敬学堂主人著、雁金書屋刊)には、トマトのサラダなどの作り方が収載されている。

 また、サラダに欠かせないサラダ油は1924(大正13)年、日清製油(現・日清オイリオ)により日本で初めて発売された。精製度が高く、良質で透明、冷えても濁らないサラダ用の油とされ、一般に浸透するのはまだまだ先のことであった。

 創刊85年になる『栄養と料理』を振り返ると、社会状況も見えてくる。第2次世界大戦後で疲弊していた日本は、公衆衛生や食品衛生の面で立ち遅れていた。今では考えられないかもしれないが、人々の寄生虫保有率は高く、結核と並び「国民病」ともいわれていたほど。駐留米軍の兵士たちが食べるサラダ用野菜を供給するために、基地周辺では清浄な環境で管理されたレタスなどの栽培が始まった。だが、当時は野菜の栽培は下肥の利用で回虫や蟯虫(ぎょうちゅう)などの寄生虫がまん延していたため、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)は化学肥料や堆肥の使用を徹底させた。1950年代の本誌には、「清浄野菜」という名称がたびたび登場する。

 今回は、昭和におけるサラダのレシピの変遷をたどることとしたい。