(柳原 三佳・ノンフィクション作家)
3月11日、WHOのテドロス事務局長は新型コロナウイルスについて、「パンデミックといえる」と評価をしたことを発表。感染が世界中でさらに拡大するという見通しを示しました。
この日は奇しくも、東日本大震災の発生から9年目にあたり、ニュースでは今後起こるであろう南海トラフ地震の話題も頻繁に出ていました。
そんな中、13日未明には能登半島で震度5の地震が発生・・・。
感染症も大地震も、人の力では予測ができないだけに、一連の報道に触れながらこれまで以上に今後への不安を抱いた方も多かったのではないでしょうか。
実は、幕末の日本には、現在の状況と非常によく似た時期がありました。
大地震や津波が各地に甚大な被害をもたらし、その傷が癒えぬまま、今度は大陸から入ってきた感染症(コレラ)のダブルパンチを受け、多くの人命が奪われたのです。
今から約160~170年前のことです。
「開成をつくった男、佐野鼎(さのかなえ)」(1829~1877)は、この頃、20代半ばでした。幕末を生き抜いた彼らの目には、「国難」ともいえる当時の事態が、どのように映っていたのでしょうか・・・。
明治維新の14年前、巨大地震が4日で3回襲来
幕末、1850年代(嘉永~安政期)に日本列島を襲った大地震は、通称「安政の大地震」と呼ばれています。しかし、これは1回の地震を指すのではありません。