特徴は、大学が発注してメーカーが作るという従来の関係でなく、アイデア段階から議論し共に作り上げる「対等な関係」。その背景には「技術の蓄積をどう伝え残すか」という八坂氏の問題意識があった。

「大学にはモノづくりの施設がないし、人が入れ替わるから、成果を蓄積できない。一部はQPSに、残りは地場企業に蓄積を残したい。企業は自力で得意なものを作って販売すればいいし、我々もアイデアを伝えるだけで形にしてもらえて助かる」(八坂氏)

 こうした地場企業との二人三脚を、学生時代から見てきたのが大西氏だ。QSAT-EOS衛星ではプロジェクトリーダーを務め、全国の大学や企業、JAXAの10以上の小型衛星開発に参加。その過程で「学生が思いついたアイデアをすぐに企業さんが物にして下さる。そんな地域は全国でほとんどなかった。それなのに周りの学生は卒業後、東京や東海地域の企業や研究所に就職し九州に残らない。ぜひこの関係を九州で発展させたいと思って」、博士課程卒業後、QPS研究所に入社したいと八坂氏に直談判した。

「正直なところ、しばらくしたら店じまいするつもりだった。でも『入るなら社長をやれ』と。実際に(大西氏が社長になって)良かったと思うのは異業種との連携。我々はどうしても航空宇宙関係者中心に仕事を進めてしまう。でも彼の場合は異業種など付き合う範囲が非常に広い。『へー、面白い。これはまねできないな』と」。八坂氏は目を細める。

 2014年3月、大西氏がQPS研究所の新社長になると、73歳だった同社の平均年齢が54歳にぐっと引き下がった。その後も若い仲間が増え続ける。

今までにない衛星で新しい世界を作りたい

2号機の構造試験モデルの前で。北部九州宇宙クラスターの一社、オガワ機工では若い技術者が生き生きと働いていた。(詳細は次回)

 社長に就任した大西氏は、会社の方向性を模索し始めた。

「企業や大学から発注を受けて、他の人がやりたいことを実現するだけでは楽しくない。今までにない独自の衛星を作りたい。調べると、光学衛星は既に世界中の衛星ベンチャーがひしめいていた。一方、レーダー衛星には小型衛星がない。『小型×レーダー衛星』なら新しい世界が作れるのではないか」(大西氏)

「小型×レーダー衛星」の鍵を握るのは、小型衛星に搭載できる大型アンテナの実現だ。アンテナなら、八坂氏は元々、NTT研究所でアンテナ開発をやっていた専門家。さっそく「『小さく搭載できる大型アンテナはできないですか?』と聞くと、八坂先生が『できるよ』と。一番大きな技術的ハードルがクリアできる。『これは行ける!』と思いました」(大西氏)。