英語は「道具」
「母語」と「外国語」の関係は不思議なものです。
外国語の習得に失敗した例は枚挙にいとまがありませんが、母語の習得に失敗したという話はついぞ聞いたことがありません。
また、アメリカの言語心理学者J・J・アッシャーは、英米人そっくりな発音になるためには、3歳までに英米の環境のなかにいることが必須で、それ以降は不可能だと述べています。
さらに、その分野の第一人者と言われるフランス国立科学研究所のジャック・メイラー博士は、「生後まもないフランス人の赤ちゃんは、中国語の4つのトーン(四声)を聞き分ける。
だが、(中国語の)刺激を与え続けないと、生後8カ月から12カ月でその力は失われていく」と報告しています。
そして、10代の初めまでのある時期をさかいに、子どもの“魔法”は消えていくと一般に考えられています。とくにリスニングや発音の面では、年齢の壁は超えられないもののようです。
「文法や語彙は思春期以降も習得できるかもしれないが、音声には“発達の窓”が存在する」
と述べるのは、インディアナ大学の認知心理学者デイヴィッド・ピソーニ教授です。「いったん窓が閉まったら、どんなに努力しても母語話者と同じレヴェルに達することはない」と断言しています。
そうであるなら、いまさら英語を学んでも手遅れではないかと絶望的な気分にさせられますが、それは本書でも指摘したとおり、早とちりというものです。
大人には、子どもとはまったく違う学習プロセスとメカニズムがあって、それはわたしたちを明るい気分にさせてくれます。
子どもが大量のインプットを無意識のうちに蓄積し、そのなかから言語のルール(文法)を見つけだしていくのに対し、大人はまずルールを認識したうえで、意識的に応用のしかたを身につけていきます。
外国語のルールを分析的かつ体系的に学び、必要な語彙を取捨選択することによって、自分が伝えたいこと(内容)を効率的に伝えられるのが大人の利点です。
「知識と経験」があるのも、大人ならではの強みでしょう。「知識」を交換し、「経験」を伝え合うことによって、より高い見識や深い知恵を得ることができます。
筆者は、若いころから英語の歴史や日本人の英語受容史に関心を持ついっぽうで、時代小説(評論)、日本人と戦争、アメリカ音楽史、ビートルズなどの分野にも食指を動かしてきました。
どれも道半ばですが、いまさらながらに思うことは、英語を「道具」とわりきって、そのつど必要な言いまわしを仕入れ、その分野の関連本を「多読」してきたことの恩恵の大きさです。
鉋(リーディング・ライティング・スピーキング・リスニング)の使い方もままならないのに建築理論(英語学習法)をふりかざしている人を横目に、ひたすら「生の英語」にふれ、そのつど必要な語彙や慣用句を掻き集めているうち、おぼろげながら英語の輪郭をつかむことができたようです。
欧米崇拝と結びついたネイティヴ英語を目指していたならば、たぶん屈辱のうちに、英語に挫折していたことでしょう。英語でインタヴューしたり、翻訳することができるようになったのも、英語を「道具」として用いてきたからだと確信しています。