メディア・ラボもいろいろ資金繰りに苦労しているのであろうことが、全くの貧乏所帯ですが私も大学研究室を主宰する一人ではありますので、はっきりと察せられました。

 そして実際、比較的早い時期から、伊藤メディア・ラボ所長はエプスタイン・マネーと関わりがあったこと、かつそれを意図的に隠蔽し、大学当局にも嘘をついていたことが、今回、「The New Yorker」に暴露されたことで、あらゆる職を辞することになった。

 後者は報じられていますが、前者すなわち彼のMIT着任の経緯は今回の報道で触れられているのをまだ見ていません。

 ここには「大学経営」を巡る難しい問題が存在しますが、それに踏み込む以前に「エプスタイン事件」に簡単に触れておきましょう。

ビデオ監視の「乱交島」と不可解な自殺

 ジェフリー・エプスタインは1953年にニューヨークで生まれ、ニューヨーク大学卒業、大学院に進学しますが学位を取ることなく31歳でアカデミーを去り、高校で数学・物理の教師として生計を立てるようになります。

 この30代前半の時期、彼は生徒の父兄としてベア・スターンズ証券の中興の祖アラン・グリンバーグと知り合い、グリンバーグは彼の才能を認めて1976年、ベア・スターンズに職位を与えました。

 ここでエプスタインは、ほとんど最低の職位からスタートしながら、富裕な顧客に取り入り、複雑な問題を解決する手腕を発揮し、わずか4年でパートナーに就任するという大出世を遂げます。

 言うまでもありませんが、ベア・スターンズはのちに2008年、サブプライム破綻で主役を演じ、ニューヨーク連銀が特例の融資を行ってJPモルガン・チェースに救済買収され、消滅することになります。

 エプスタインが異例の出世を果たした陰には1978年にグリンバーグが会長に就任した経緯があったようです。

 1981年、エプスタインは独立して自身のコンサルティング・ファームを主催、以降、冷戦末期からネット経済成立の初期にかけて着実に力をつけ、ヘッジファンドのオーナーとして君臨するようになります。