9月2日、外国人特派員協会で行われた「あいちトリエンナーレ2019」の記者会見でディスプレーされた「平和の少女像」(Rodrigo Reyes Marin/アフロ)

 9月2日に行われた「あいちトリエンナーレ」<表現の不自由展>関連の記者会見で見られた、あまりにも論外な点について、前回具体的に触れました。

●(人格として主体をもつ)「アーティスト」との契約であるべきところを(法人格のない任意団体と思しい)「委員会」を<みなしアーティスト>として契約しているらしいこと。

●その、アーティストの皮を被った「委員会」にはアーティストは一人もおらず、評論家や編集者、大学教授などの集まりであったこと

●評論家や大学教授の集まりとノンプロの芸術監督が「キュレーション」を行い、16人の作家=作品を選び、そのセットをアーティストが一人もいない「委員会」の<作品>であるとして発表した。

 これがどれくらい作家や作品を冒涜するのみならず、「表現の主体」を欠くトンデモない出来事であるか、確認するところからお話してみましょう。

極めて「全体主義的」な契約関係

 この展覧会で問題になった「平和の少女像」は韓国の彫刻家キム・ソギョンとキム・ウンソンの作品です。

 まぎれもなく「韓国人作家による作品」つまり「海外のアーティスト」の手になるもので、かつインテラクティブ・アートの性格を持つものです。

 鑑賞者は空席になっている方の椅子に座り、隣の少女がいかに小さいか、等身大で感じるところから、作品との「インテラクション(関わり合い)」が始まります。

 あるいは昭和天皇の肖像が炎上するイメージを含むことばかりが皮相に問題視された大浦信行「遠近を抱えてPartII」は、1986年大浦が富山県立近代美術館で開かれた「富山の美術’86」に出品した元来の作品「遠近を抱えて」が発端になっています。

 のちにこれが問題とされ、1993年、昭和天皇の肖像が登場するこの作品を掲載した図録の「焼却」処分を決定したのは富山県にほかなりません。

 昭和天皇の肖像を含む図録の焼却処分は、当時の中沖豊知事以下の、富山県担当者に責任があるはずですが、それを「反日」であるとか「左翼」であるとする声は(当然ながら)一切ありません。