9月2日に行われた「あいちトリエンナーレ」<表現の不自由展>関連の記者会見で見られた、あまりにも論外な点について、それがどれくらい作家や作品を冒涜するのみならず、「表現の主体」を欠くトンデモない出来事であるか、確認するところからお話してみましょう。
世界を見ていない「国際」トリエンナーレ
「あとは勇気だけ」では必ず破綻、反例としての木幡和枝
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