東大に着任して20年、こうした事柄には、きっかりと襟を正すことにしています。

 1960~70年代、学園紛争で揺れた時期の大学が、まともな高等教育機関としての機能を果たしていなかったのは残念な事実です。

 しかし、それを「昔取った杵柄」のごとく、商売で成功した企業人や大衆作家が自慢しても、負のロールモデルにしかならないでしょう。

 「そうか、学校のテストは問題も読まずに、勝手なことをでっち上げて嘘っぱちを並べた方が、大衆小説家としては成功するのだな・・・」

 といった誤解を抱く若者が、間違いなく複数、すでに発生しているはずです。そして人生を損なう可能性が危惧される。

 それに対して売文業者などは何一つ責任を取るわけがない。有害無益と断じるゆえんです。

 「あの頃は寛容だった」「おおらかで、良い時代だった」といった寝言も願い下げです。

 旧制高校・大学だって、新制になった直後だって、学業をいい加減にもっぱらスポーツにかまける、あるいは遊んでいて、文学とか経済学、法学部などの卒業証書を手にするといったことが<寛容に>認められていたわけではありません。

 私の父は1944年、19歳で帝国大学経済学部に入学しましたが、9月に召集され、学徒出陣で関東軍に配属されました。

 激しい戦闘があったのは終戦直前から、むしろ8月15日以降で、夏とはいえ荒地のシベリアで、ソ連の最新兵器の戦車に追われ、素手で穴を掘って抵抗しますが、ほどなく捕まり、強制収容所に入れられました。